毎日、毎日、不安と闘ってる。
昨夜は酷かった。
なぜか急に死にたくなった。
ベランダに出ると身体から私の影が抜け出て手すりを越えようとする。
思わず身を引いた。
スーッと引っ張られそうな。
あんなのを感じたのは昨夜が初めて。
怖いと言うより、ああ、こうして人は飛び降りてしまうのだと知った。
生きているのが私にはずっと苦痛だった。
幼い頃からずっと。
生死の別すらまだ知らなかったというのに。
母の叱り方があまりに執拗で終わりがなかった。
ヒステリックに口から飛び出す言葉は全て私を否定し傷めつけるものばかりで。
いつしか私は心と体を切り離すことを身に着けた。
叩かれていても痛みを切り離せば耐えられた。
その様子がまた反抗的だと母の怒りはますますひどくなった。
私はずっと自分に対して無責任だった。自分を大切にすることを知らなかった。
一番、信頼しているはずの親に叩かれたら、どうして自分の体は価値あるものと思えるだろう。
言葉を与えた親に否定的な言葉ばかり投げつけられたら、どうやって自分を肯定すれば良いのか学べるはずもない。
親の姿を見て、人生で一番大切なものは感情であって、負の感情を受け止めない相手が全て悪いのだと学んだ。
それが人生のスタートラインであれば、自分に生きる価値があるなどとどうして信じられるだろう。
どうして他人と良い関係が築けるだろう。
さすがに母の姿勢は間違っていたことに気づいたけれど、結果的に私が身に着けたのは、今度は感情を押し殺すことだった。
人に自分の感情をぶつけてはいけない。
そんなのわがままで自分勝手なことだ。
結果、人から利用され、時には冷たいだのなんだのと否定された。
母のように自分で自分の感情の責任を持とうとしない他責思考の相手からは特に。
今の私は涙すら出ない。
泣いたって何も変わらない、そういう現実の中にいると、涙なんて出やしない。
泣けたらいいのにと思うことはある。
でも涙がこみ上げる前にスッと引いてしまう。
私を強いという人もいる。
強くないから泣けなくなった。
強いのではなく諦めてしまった。
何かと闘うより諦めたほうがラクだから。
自分のことすら他人事のように眺めてきて、私は無気力と無感情の中にいる。
それでもお腹は減るし。
だけど外へ出てまた他人の感情と承認欲求の食い合いの世界に入りたくない。
お金は底をつきかけているけど、まだ外へ出ていくだけの気力がわかない。
時々というよりは頻繁に、このままずっと何もかもを締め出し、ひとりで成り行きに任せたいと思う。
最期はどう迎えるか、最後の最後で必死に起き上がろうとするのか、それとも気が狂ってしまうのか、ちょっとそんな極限の自分を知りたいとすら思う。
それではダメとブレーキを踏む自分もいるけれど、それは本心と言うより生き物としての本能みたいなものなのかも。
私はもう、自分で自分の感情と折り合いをつけられず人のせいにし、時には人を評価することで優越感を得たがるような人間とは関わりたくない。
私はもう私と一緒にいたくない。
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