ユウヘイです。
例えば怨みが積もって知人を殺してしまったとします。普通であれば死体が発見され凶器が発見され、現代ではほとんどの場合捕まるでしょう。これは見つかったからダメなのであって、死体も凶器も自分がやったという事実も見つからなければいいのです。
ですが人間には太かれ細かれ人間同士の繋がりがあります。家族や友人がいたらもちろんのこと、天涯孤独で友人もいない人だってよく行くお店や近所の人、宅配の人など誰かと関わっていて、その人が不審に思って発覚するでしょう。
つまり「バレなければ」ということは「その人がこの世からいなくなったこと」もバレてはならないのです。
これは他の犯罪・やってはならないことも当てはまると思います。
万引きをしても店の人が気がつかずお金や経営に何の問題も起きなければやってもいいんじゃないですか。僕はやったことがないのてわかりませんが
レイプや傷害、いじめなど対人的な犯罪?は、その被害者が生きている時点でバレてることになるのですから、絶対にどんな場合でもやってはなりません。
人を殺害してしまった場合、死体を完璧に隠すことは難しいですしその人がいなくなった場合に生じる不都合(配達が出来ない、郵便受けが溜まる、仕事に穴が開く)によっていつかは発覚するでしょう。存在が消えたことを気がつかれない人間はほとんどいないでしょう。
僕はバレなければ殺人すら犯すことに抵抗はありませんが、バレない自信がないので人を殺すことはしません。
僕のこの考えに当てはまらない例外もたくさんありますし、賛否両論だと思いますが…
みなさんはどう思われますか?
ユウヘイ
43043通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
犯罪以外はバレなかったらいいと思います。
例えば彼氏と遊びに行くのに友達と嘘をつくのも別にいいと思いますし、逆も然りですし…
法に触れること以外だったらいいんじゃないですかねぇ
ななしさん
かなり時間が空いてしまいましたがまだみてくれてますか。
正直者はバカを見る世の中です。私もその考え方で良いと思う反面、疑問も湧いてきています。
殺されたこと自体がわからなければいいという事ですが、殺人だと例えば、殺される側は苦痛を感じ死ぬ事を悟っていても、その人が死んだら別に問題ないということですか?
もし殺される側が誰とも関わりがなく死んでも誰にも気付かれなかったとして、その人がもし生きていたら将来たくさんの人と関わり合い影響を与える可能性があったとしてもそれは気にしませんか?
ようは私が疑問に思っていることは、単純に自分自身にデメリットがなければたとえ犯罪でもなんでも行っていいということになるのではないか、ということです。
ななしさん
どちらかと言うと賛成ですね。
その人にバレなければその人はただの日常での出来事に過ぎない。
殺人等の重罪事件を犯しても
犯人と疑われなければ、怪しまれなければ
大丈夫かと思ってます。
ただ、僕も同じく行動を起こす気がないので
やりませんが、思考は似ていて共感は出来ます。
ななしさん
ばれなきゃいいという考えをする人間は嫌いです
何故なら私は人に騙されたことがあります
トラウマになりました
一方的な感情はただの自己中です
殺したくなるくらいの気持ちはわかりますがみんなそういう怒りはどうしても許せないとき誰でも出てくるもんだと思います
しかしなにがあってもみんな押さえてるんです
嫌な思いや理不尽な思いをして生きてる人間はごまんといます
自暴自棄になるくらい辛いのはあなただけではありません
でもなにがあっても殺していい理由にはならないんだよ
どんなにむかついてもバレなくても
長くなってご免なさい
それに世の中、そんなに悪い人間ばかりではないのも事実だよ
ななしさん
バレなければ犯罪をしても良いというのは
やはり違うと思います
人間は社会の中で生きています
何が罪か…概念を作ったのは
同じく人ですから他人の作ったルールで
何故守らなければならないのだろう
と思うことがあると思います
しかし、ルールを作ったその意思は
人が幸せに生きるために真剣に知恵を出して
作ったルールだから
過去に被害があって二度と悲しいことが起こらないように忘れないために作ったルールだからと
私は思うからです
そのルールは被害者だけではなく
加害者の幸せも考えているので
法律を学んだり、裁判記録などを読んでみてはいかがでしょうか?
どう考えるかは人のそれぞれだと思いますが
バレなければ…の考えはやめた方が
良いと思います
自分がそうなってしまうと、他人もそうだろうと決めつけ人を信じられなくなるからです
秘密を持つということは結構つらいものです
持っているだけで、人より重い荷物を背負いながら長い時間生きなければならないのは
あなたが想像するよりも大変ですよ
ななしさん
万引きだって棚卸しして在庫確認してるし、バレますよ。
誰がやったかはわからなくても、人の恨みをかってる時点で、店の人の恨みの念は犯人のところにくるでしょう。
いじめとか万引きとかも、人の恨みをかうことはやめたほうがいい。
ルールとか宗教、倫理とかじゃないんだよ、
人の恨みの念の強さほど怖いものはないんだよ。
ななしさん
何が存在しているって時点でなかったことにはならないし、それが無くなったところでそれも現象だから、あなたの言ってる事は自己都合で終わっちゃうと思うよ。
ななしさん
一見理屈っぽく見えるけど、倫理や感情と理論、正反対といえるものを同時に語ろうとするのはとても非論理的だと思いました。
自分の主観によるところが大きいと机上の空論にすらならない。
本当に理屈のみを語るのであれば自分はどうかなんて主観はいらない。
小瓶主さんの返事見てもほとんど主観ですし。
ななしさん
冷静になれるならそもそも怨まない。
ななしさん
逆に聞きたいけど、じゃあそもそも小瓶主は何をもって「犯罪・やってはならないこと」としているの?
自分が良ければ良いなら、何でもやっていいなら、どうしてそんな言葉を使うの?
ななしさん
そう罪は私のさじ加減ひとつ♪
たとえ誰だろうと私のこの罪♪
裁くことは認めない♪
ななしさん
「人を殺してはならない」と同様に、「バレてはならない・バレなければいい」というのもまた他人…というか人間が勝手に決めただけに過ぎないと思う。
沙樹
どこでもドア理論や5億年ボタンを思い出しました。(実際は全然関係ない話なのですが、バレなけりゃなにやってもいい、らへんのイメージが似てたので)一応リンク張っておきます。
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/sikou2.html
http://goodluckjapan.com/5okunenbotan/
どちらも、どんなに苦しい経験をしても記憶さえなくしてしまえばなかったことになるので繰り返し同じことをしてしまう、というような内容です。
バレなければ何をやってもいいかどうかは、当人次第です。その行動自体は良くもないし悪くもない。良い悪いの基準が見方によって変わるので非常に曖昧。生物的に見れば良いし、道徳的に見れば悪い。
単純に、人を殺せばその人は確実に苦しむし、物を盗めばそこから確実に物はなくなります。誰も気付かなかったとしても、現象は起きてる。
それを良しとするかどうかは当人に委ねられます。私は、誰にもバレなかったとしても自分が理性を持った人間でいられなくなるような言動は良しとしないので、やりません。
私は、シュタインズゲートのように、現在の物事が何か1つ変わるだけで未来も変わる、という見方をしてしまうので、もし誰も気付かず誰にも影響していないように見えても、その行動によって何かが変化すると考えます。なので、誰にも認知されなかったとしても、なかったことにはならない、という考え方です。
どう思われますか?とあったので、考えを述べてみました。正解はないので、討論する気はないですよん。
ななしさん
それを知る自分もいなくならなければ完璧になかったことにはならない。
ななしさん
怨みは感情。
バレるバレないは理論。
かい
論理武装しているように感じられました。
やってはいけないことの裏返しの
言葉たちのように思えましたよ。
一意見としては僕には怖いのでできないです。
ユウヘイ.
(小瓶主)
【小瓶主さんからお返事きたよ】
10通目さん 確かに倫理観すら他人の決めた社会のルールに従っているところはありますね。
9通目さん あなたの考えはそうかもしれませんが僕はそうは思わないので、申し訳ないです
8通目さん 良心が咎めなければやって良いことが増えてしまいますね。
7通目さん 両方です。バレて法の裁きを受けるのも嫌ですし、自分が恨んでいる殺した人以外に迷惑をかけるのも嫌です。
6通目さん 違います。僕はまだ殺人を犯していないので話しているだけです。こんな考えを持ってますからもし殺したら墓場まで持って行きますよ(笑)完璧な犯行をしてその方が消えた事にすら気がつかれないほうがただ殺すよりもっと恨みを晴らせるのだと考えています。
5通目さん 本番になったらそんなこと気にしてられないのかもしれないですね。何事も冷静になって考えておく事が大切だと思っています。自分の信念の為なら何年だって計画を練ります。恨みが無くなって仕舞えばそれまでです(笑)
4通目さん 自分が良いなら大丈夫です。
3通目さん そうですね。そう教えられました。ですが今僕は自らの心を戒めてもなお抑えきれない恨みをどうするかの話をしています。
2通目さん 誰にもバレないとはこの世の中の人全てにバレてはならないという自分ルールです。僕のさじ加減でしょうね。
1通目さん 僕が醸し出す雰囲気や繋がり諸々含めてバレてはならないということです。あの人が怪しいとすら思われないようにしないといけないですね
ななしさん
バレるかバレないか良いか悪いかというよりは、その人その人の感じ方とか心次第だね〜
他人にとってはないことでも実行した自分にとは立派な事実だし。
相手なり物なり金なりだって、後で壊すにしろその時自分の目の前には確かに存在してる。
人殺しがいけないってのも宗教とかルールとか概念とかっていうより、自分が殺されるの嫌な人がそれだけ多いからじゃない?
それを許したら自分が殺されることに同意することになるし。
でなきゃ宗教とかがない野生動物が自分が殺される時に必死で抵抗するわけない。
人殺しが浸透したとしても、それだとそもそも人が存在しなくなるワケだから浸透するも何もない。
まぁ結局全ては自分自身。
やってもいいって人は、自分がされても一切文句ないんだろうなと思う。
で、あなたは他人にそれを聞いてどうするのかな?
どうしたいのかな?
因みに。
犯罪があったこと自体気づかれないのが完全犯罪。
犯人が捕まらないのはただの未解決事件。
ななしさん
人間らしい考え方
ななしさん
私も小瓶主さんと似たり寄ったりな考えを持っています。
どんなに悪いことをしたとしても、
例えば浮気、例えば万引き、例えば殺人をしたとしても、
誰にもバレなければ、それはやっていないのと同じことでしょう。
誰にも認知されないものなんて、ないのと同じです。
こんなことをいうと「バレないなんてのは物理的に不可能だ」なんて論点のズレたことをいう愚か者がいますが、今回それは放置しておきます。
そもそも、「人殺しの何が悪いのか」という問題に対して私は
人殺しが悪いのではなく、人殺しをしてはいけないという社会のルールに反することが悪い
のだと考えています。
もし、人間が宗教を生み出さず、「人殺しはいけない」という概念がこの世になかったとしたら、
もし、「人殺しはむしろ進んでやりましょう」という概念が浸透していたとしたら。
それは悪いことではなく、むしろ正しいことなのでしょう。
まあつまり、何をするにしたって世間は他人が決めるものであるということですかね。
ななしさん
実際には不可能に等しいけど、もし可能ならあとは良心の問題なんじゃない?
当人以外の人間にとっては「何も無かった」のと同じなんだし。
誰もいなくてカメラも無い道路で信号無視できるかとか、生き物は何まで殺せるかとか。
やっていいかどうかは自分の心次第。
ななしさん
バレるよ。
そいつが自ら語るから。
バレるよ。
そいつが自ら語るから。
出来るって、周りに証明するのにね。
実際小瓶主さんだって、こうして話してるでしょ?
それにたとえ事が発覚したところで、身代わりたてるなり自分だって分からないようにすれば済む話でしょ?
そもそも、殺してしまうほど怨んでいるなら何故そんなことを気にするの?
所詮その程度のものってことでしょ?
ちなみに私なら、バレなくてもやらないかな。
バレないようにするための手間がかかり過ぎるしそこまでしてやる程でもない。
もしやるならバレるかバレないかなんて気にしない。
違う?
ななしさん
バレるというのが
バレて自身が糾弾されるのが嫌なのか
バレてその行いの影響で他者が嫌な思いをするのが嫌なのか
貴方はどちらなのでしょうか?
ななしさん
「神さえいなければどんなことでも許される」
某キャラの台詞。
まぁ少なくともそんなことを気にしているうちは、仮にバレなくても出来ませんよ。
その程度のやる気でしかないワケですから。
ななしさん
他人が見てなくても自分が見てる。
ななしさん
バレなくともおてんとう様は常に貴方を見ています。
昔はそう教えられました。
もう、日本の国では死語となってしまったのでしょうかねぇ。
『バレないから、法に無いから、すり抜けられる』
個々がそう思うなら自らが自分たちの首を絞め新たな規制が生まれ住みにくい世の中になっていくだけと思うのですが。
本来なら法は人としてのわきまえ、必要最小限でいいと思うのです。
裁くのは法ではなくおてんとう様なのですから。
自らが自分の心を戒める『日本の心』日の丸は失われつつあるようです。
ななしさん
「バレなければ」というよりは「誰も気にしていなければ」という内容なのかなという気がしたのですが「
『誰も』の誰って誰よ?」という部分を突き詰めると結局は主観に行き着く様に思います。結局自分の匙加減ですよね、おそらくそこは。
ななしさん
読んでいて思ったんだけど自分の体なり心なりが殺したことをわかってるんだから、存在自体が殺しをバラしてるようなものかも。
なんかね、なんとなくそういう感じのする人とか、目からそういう何かが見て取れるとか、どうもいるみたいだね。単に目つきの悪い人とは違うっていうか。
まあ、だから現代とかに関わらずバレないのは無理かもしれない。
そうだなあ、俺はバレるバレないより、殺生が良くないんだと思う。というか出来る限り殺したくない。
殺し殺されってことは命のやり取り。なくなるってことは生の終わり。誰かの生がなくなることそのものが悲しいことだと思う。
優しいとかじゃなく、当たり前のことで、悲しいというよりは虚しいとか勿体無いとか、そういうことに近いかな。死ぬのがいい悪いではなくて。
死んだら生は終わりだし、社会のルールとか倫理とか関係なく、殺したものは殺したという事実を一生背負って生きていく事になる。それはそれで辛い事なんだよ。
そして、殺すという事を本当に理解しなければ、本当に辛い事を知らなければ、そこからは抜け出せないのかもしれない。
知人の周りの繋がりの人たちは、知人が死んだら悲しむ。
でも多分、繋がりがあろうとなかろうと悲しむ人は悲しむ。殺した人の周りも立場は違えどそれは同じかもしれない。
よくある手の話し方みたいになるんだけれども。
今は食べ物とかが自分の命のやり取りを介せず手に入るから、あまり実感はないかもしれないけど、食べる食べられるとかの命のやり取りは本気なんだと思う。
屠殺とかそういうものだとしてもね。草木もやられるばっかりじゃないみたいだし。
それに何を感じるかは、一々大きなショックを感じていても身がもたない、とか特に感じない、とか色々あるかもしれないけど、人間なら人間なりに社会の中で、殺しに至る動機というか、その人自身の中に入ってきたであろう言葉や価値観、それに対する各々自身の問題なんじゃないかと思う。
何故やってはいけないのかを自分なりに考えて、あるであろう誰かの価値観に触れて理解しようとしてみることが、一歩として大事なのかもね。大体は嫌だからとか困ってしまうとかそういうことだし。
まあ、その中でも特に取り返しのつかないことが殺生とか、体なり心なりを深く傷付けてしまうことなんじゃないかなあ。自分自身のことも込みで。
あれこれ書くと急に生き辛く思えてきた(笑)
けど簡単な話、嫌だからとか嫌な思いをするからそういうのはやめとこう、ということなんじゃないかと。
ななしさん
世の中、考え方、自由と言っても、良い悪いがあります。
それが人間。それがわからなければ、人間ではない。
わかりますか?
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。