言葉は何にでもなる。
かじかんだ手を包む蒸しタオルにもなるし、
ただただ通り過ぎるだけの風になるし、
堪忍袋のすぐそばで不用意に動くナイフにもなるし、
涸れた地に降り注ぐ雨にもなるし、
大切なものをぼろぼろに破壊する金槌にもなるし、
良くも悪くも最後に必要なひと押しをしてくれる。
言葉で怪我はしないけど、
言葉は病原菌を生まないけど、
一番確実に心を突き落とせる。病ませてしまう。
私が今まで発した言葉たちはそれをかけられていた
人たちの何になっていただろうか。
きっと金槌になってしまったものもあったろう。
少しは手を包んであげられる温かみを持ったタオルになれたろう。
気づかれずただ過ぎてゆくだけの風にもなったろう。
逆に私にかけられてきた言葉たちのように。
親兄弟にかけられた心無い言葉。
見た目に言動、思考、字、絵、成長の仕方、
全て全て貶すために放り投げられた言葉たちは
確かに私の自尊心を粉々に打ち砕いた。
自傷や自殺未遂を知ったときの担任の先生の言葉。
「気づけてよかった。まだ生きてるあなたと話せてよかった」
私の涸れた心から溢れるくらいにまで水を注いでくれた。
言葉が怖くて、言葉をかけられないように
自分も言葉を塞ぎ込んだ時期もあった。
でも言葉は人を楽しませられるし、笑わせられるし、
安心させられるし、救うことだってできる。
そのことを忘れなければ、
きっと私はまだ自尊心が壊れきったままのこの心でも、
言葉におびえずに生きていけると思う。