言葉変えるって、小さなことどころかめちゃくちゃ大きいと思うんだが…
いや、賛成って意味でなくて。
本当に軽いものまで重くなり、逆に重いものが軽くなり。
言葉変えるなら、まずどこからがそうなるのか、何がそれに当たるのか、詳しい背景や事情、まずその辺ハッキリさせないことには逆に混乱を招いたりするんではないかと思うんだが…
やる側の事情なんて知らないっていう人もいるけど、何も知らない人間が見たら被害者みたいに見えるけどが実は加害者だった場合も少なくないし。
軽く肩が当たっただけで騒ぎ出す人もいる。
言って悪いが、少し浅はかに感じた。
そういうことを安易にいう時点で、その人自身がそれを軽く考えているのでは…たとえ本人にそのつもりはなくても。
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思った事を書くだけなので、誰かがこれを読まれる際は、誰に向けてとかじゃなく、小瓶を読んでの感想みたいなもんだと思ってくれれば幸いです。
俺は俺でそこまで考えられた訳でもないかもしれんのだけど、自分がどう出したものをどう受け止めるか、受け止められる余裕や時間はあるのか、同じく人がどう受け取った事をどう考えてどう感じるのか、どう受け取った、どう感じた自覚はあるのか、と考えていくと頭が痛くなる。
多分、小瓶主さんのように考えてみると、言葉を変えるっていうか、例えに変換するって事に言及していると思うんだけど(違ったらすまん)
思った事を相手に伝えるために、まず気持ちを言葉に変換して相手に伝えようとする。
そうすると、どうすれば相手に伝わりやすいのかと考える。
で、言葉というのは意味があるものだが、その意味とは人間一人ひとりが込めているものになる。
つまり、一人一人が一つの言葉に対してそれぞれの、様々な解釈としての意味を思い浮かべる。
「一般的に」という言葉があるが、これは「大衆的に」であって、「絶対的に」ではない。
であるので、大まかには意味があっていても、一人一人少しずつ異なる意味を持っていたり、少人数であるような、また一般とは異なる意味を言葉に持っていた場合、話し手としても受け手としても齟齬をもたらす事になる。
しかも、どのような価値観を持って「一般」とするのだろうか?
この「一般」というのは客観に近いものだと思うが、一般という意味を判断するのは他ならぬ自分の「主観」である。
それはどうあがいても個人の価値観であって、どれだけ近づけるとしても客観そのものとは言えない。(個人は全体にはなれない)
例えば、私のように文字を多く羅列する事が分かりやすい、読みやすいという方もいるかもしれないが、逆に長すぎる、読みづらい、と思う人がいないとも言えない。
正直、長すぎても、読むのに疲れたり、そもそももともと受け手が疲れていると頭が混乱することもある。
長いなら長いなりに気を付けられる事もあるが、何が読みやすいのか、というのも人によるからだ。
ハッキリさせられていればいいが、その「ハッキリ」という言葉にさえ一人一人の意味や、「どれぐらいが各々にとって理解できる、ハッキリなのか」という尺度も異なる。
一人がハッキリと意味を理解できたとしても、その方法では他の一人が理解できない事がある。
その人(状況?)を弁護する気はサラサラないが、重い話が軽く聞こえる事で受け取りやすくなることもあり、軽い話が重く聞こえる事で受け取りにくくなることもある。
事細かに考えてみると、大まかには表現の仕方と受け取り方に纏わる問題かと思うんだけど、それが俺には簡単な事だとは思えなくて。
その人が軽く考えてそう言ったのか、またそれが他の人に伝わらなかったのか、またそれはコンディションのブレによるものなのか、またそれはその人の中でわかりやすいと思える言葉だったのか、と、色々考えちゃうんだよね。
何かをどう判断して、それが正しいのか間違っているのか、それを確かめる事すら、間違える事がある。
常日頃考えるつもりでも、それが出来ない事はあるし、その上ででしか出せないのが人間の考えなんだと思う。
誰かが言ってた気もするけど、予め間違えるものだ、うまく行かないものだと思っていた方が気持ちは楽かもしれない。
また、それを考えないというのも、人によっては気が楽なんだろうと思う。
一人の人間の一意見ではあるが、考え込んだ挙句何も言えない状態になった事があるので、そこから考えると軽か考えられるのなら、それはそれで羨ましいとも思う。
ただ、主さんが小瓶で書かれていらっしゃる内容の事に対して浅はかだと思った件については何も否定しないし、何があったかもしらんのでなんとも言うつもりはないが、何かしらの行動を起こすという事は、何かしらのリスクを伴うものなのだと思ったよ。
あー、でも、たとえ本人にそのつもりはなくとも、というのはその通りなんだけど、無意識レベルでも意図してない(日本語おかしい)場合、本人の手から言葉が離れていくこともあるんだよね。
放つ言葉の重みというものもあるけれど、受け手自身が解釈してしまう事によるものもある。
気を付け無いわけではないけど、伝える側として、そん時はどうしようもない時もあると思う。
受け手になった時もなった時なりに、同じく伝える側がどうこうでどうしようもない事はあるだろうけど、どっちの時も気を付けて自分を振り返る時間があるといいんだろうなと思ってる。
黙ってればいい場合もあるかもしれないけれど、答えざるを得ない場合や、伝えなきゃいけないと思う場面は人それぞれあるとも思うし。
それに対しても、また常に気を配り続ける事は難しいんじゃないかと思ったり。(やって見てるけどなかなか続かない)
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