雑記つれづれ。
「本音では受け入れ難い人なのに、
ないがしろにされると、ムッとします」
これがヒントで、ちょっとだけ芋づる式に思ったことがありました。
私は私を飼っている。
飼い主も私です。
いつも、私は他人からないがしろにされる、という
疎外感という思いこみがむくむくと
沸き上がることが大抵です。
いつのころからか
いえ、高校生以降でしょうかね、
いや、どうなんだろう?もうわかんないや。
他人に近づきたいのに、身体は引いて接します。
それは近寄るのが怖いから、と思っていました。
誰も彼もがいなくなってしまうのだろうと
いう思いから、だと思っていました。
存在給の話があります。
足さず、盛らず、卑下せず。そのままでいいんです。
等倍で接することから、こわくて避けていただけなんです。
あまり良い飼い主ではありませんでした。
引いてしまうとき、卑下をしています。
わたしは、わたしにやさしくしてこなかったんです。
誰かに、抱きしめて欲しいより、うんと前に
肩を抱いてせなかをさすって、ぎゅっとしてやるべきだったのは
あたし自身だったんです。
そんな等倍で接しても、それでもそこが受け入れ難いと
嫌うひとはいます。
コインやお札の両面です。
ここは、あきらめるっきゃないでしょう。
ここも課題かな?
大きな大きな課題です。
冒頭の、受け入れ難い人、それは、恐らくお互い様で
それは、私が捨てたものを、まだ後生大事に身にまとっている人。
自分を守るための、見え透いていたうすら笑い。
そして、私がこの世で一番の被害者だという顔をしている。
ワークショップで、グループ分けされ
一緒になった人達は、
あえて、それは自分の鏡だ、運命的なメンバーだという。
神々しいほどの美女と、上記のニセモノ(巨漢)と、
弱っている巨漢とわたし。
すべてが投影要員。お互いに。
私のもろくて醜い腹の内。
がんばります!
きょうも、別件でおでかけ。
またかきます!