もうやめよう
いい人ではないのだもの・・
すきなことをしよう
・・と
講師さんが、書いていた。
どこかの、ついていけないほどの
おっとりさん宛てのことば。(とあった)
わたしは、安堵で泣いた。
自分あてじゃないけど、
自分あてだと思ってないた。
全部バレているうえで、それでいいって
言ってくれるひと。
バレている、わるくて卑怯で、冷たい私のこと。
ありがとう、ありがとうありがとう。
こうして書いていても、グッとなるな。
陽の面だけかきあつめて、回していこうと、
もうしなくていいと、
いい人ではないと、ああ、
あー、もう、いいんだ。
認めて。
しゅるるるるって、膨らませた風船が
ちいさくなっていくみたいな
ダサい等倍の安堵感。
もう、だれかになる、ハリボテの白日夢を
夢想する喜びは半減してしまったけど
それの数倍、
わたしは、もう、自分を片割れを
捨てなくていいという安堵の方が大きい。
いいひとではない。
いいひと120%なんか目指してたから
おかしなことになってた。
それは、人間じゃない。
奇人だ奇人!
なんとなくぼーっとしたとこも
冷徹な所もあって、まぜまぜだから
「〜な人」なんて
一面だけ見て=わたし全部なんて
乱暴。
そんな視点で、わたしを、他者を捉える人
(あたしもあるね)
今日も、たくさんいる、決めつけ。
あたしもしてる、裁いてばかり。
でもね、もう一歩引いて、見てみれば
そういう決めつけで見る「面」を持つ人
(1をみて10と決めつける)
というだけのこと。
後者は、ちょっとこの傾向強いらしい。
後者って言葉に逃げてるんじゃなくて、
脳構造がね。
ずっと、中二病の名残だと思ってた。
まぁいいや。
まあいいのさ。
気づけたら、そこをゼロ地点として
そこからやってきゃいいだけよ。
ロマンチストとリアリストの両面が強くあって
間がないから、生きづらい。
だからこそ、いびつだが、自分の形だったのでしょう。
どうでもいいことのほうが、私の日常の9割、
てきとーでいい。でたらめでもウソでもいい。
気にもかけない。
大事なことについてだけは、本当の言葉の気持ちの
態度のやりとりでないと
耐えられない。
フェイクをいつも持って来られると耐えられない。
私自身が、真逆にある
お茶ばかり、長い間にごしていたから
限界だったんだと思う。自分の不誠実さに。
(だから、他人に投影していた)
また、変わっていくのかな?
なんでもいいや。
大きく吸って大きく吐ければ、なんでもいい。
げんきに生きよう。
健康第一、けんいちくん!