最後に会ってから昨日で一週間経ったよ!
LINEトークではなくひとことでウザッて言われて一週間!
私が言われた訳ではないかもしれないけど、私かもしれないしね!
いや、きっと私だ!
私はこのまま会わないのかー?
あんなこと言っておいて、どの面下げてお店に行くよ?
一ヶ月後にママの誕生日があるけど、それもスルーしないといけないかなぁ。
見ないようにしてた写真を気が付いたら眺めてる。
眺めてたら胸がギュッと苦しくなる。
非表示にしてたトーク履歴や友達一覧も気が付いたら表示されてる。
なーにしてんだろうのー。
えー?おい?
ピアス、捨てちゃったかなー。
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恥ずかしくて顔から火が出ます!
冬様。
幸せとはまた違いますが、今までずっと、「私が我慢すればそれで良い」という考えの基、過ごしてきました。
それは「嫌なことを我慢する」という意味ではなく、例えば「人数は5人、でも、お菓子は4つしかない」、こういう時に「遠慮する」という意味ですが、つまり、「"私なんか"気にしないで」。
「怖がる」というよりは「"私なんか"が幸せになるなんてあり得ない」、「手に入らない」というよりは「"私なんか"が手に入れるべきではない」。
だから「期待はしない」。
正確に言えば、期待はしますが自分でそれを否定します。
これはネガティブのそれですね、「そんな訳ない」、仰る通り、傷つく自分が怖いのでしょう。
実際、期待するにしろしないにしろ、自分にとって不利益な事が起きると傷つきはしますが、当然、別々の出来事なので比較にはなりませんが、期待したままであった場合と比べて期待しなくなった場合の方がダメージは少ないですからね。
「ほらね、思った通り」と自分に言い聞かせる。
始めに書いた件も"私なんか"ですね。
「"私なんか"の小瓶なんていつも見なくて良いよ」が無意識的に反応しているのかもしれませんね。
以前、「自分を卑下するのはある意味傲慢だ」(傲慢ではなかったかも)といったことを書いて頂いた方がいましたが、確かにそうかもしれません。
が、昔から、そう、親曰くは小さい時から「遠慮しい」だった、私はそうやって過ごしてきた、"私なんか"と生きてきた。
私は、私の存在価値など無いにも等しいと生きてきた。
私は、幸せになるべきではない。
そんな私が恋をした。
何があっても、何を言われても否定から入る私が、否定しきれずに恋をした。
そんな自分に戸惑いながら、そんな相手に戸惑いながら。
そして私は、自らその恋を終わらせた。
これ以上傷つきたくないから終わらせた。
私は、選択を誤ったかな。
りゅーあんさんの小瓶ずっと読ませて貰ってました。揺れるお気持ち、好きな人が出来たらきっとそうなんだろうなぁと思いながら。
幸せになる一歩手前でその幸せに背を向けたくなる。まるでその幸せが手に入ることを怖がるように。手に入らないのが本来の自分だというように。
それは、幸せになるはずがないから、期待した自分が傷つかない様に、幸せをわざわざ取り逃がす行為をやってみる。
A子さんとの一連の出来事は本能的に何かざわめくものを感じていらっしゃるのでしょうか。
幸せは傷付くことをも含めたところにあるのかなと感じています。そして多分こういった傷も私の血となり肉となることを望んでいる、そんな気がしながら日々過ごしております。
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