誰かに求められる。そんな大したものではなくても、自分のしらないところで、感情をもたれていることはきっとたくさんある。
たとえば、このあいだ。
予定の前に身なりを整えるため、駅のお化粧室を使っていたときのこと。お掃除のおばさんが声をかけてくれて、少し話した。
「笑顔がすてきねえ。大変だろうけど、その笑顔なら大丈夫よ。」最後にそう声をかけてくれてさよならした。
わたしはたぶん、この一言を忘れないと思う。顔はもう思い出せないけれど、やさしく、わたしよりもっともっと何倍も素敵な笑顔で声をかけてくれたことは忘れないと思う。
おばさんは、わたしがこんなに感謝していることなんて知りもしないだろうけれど、思ってもみないだろうけど、とてもとても感謝しているのです。
こんなこともある。
友人がずっとがんばっていたことが叶って、おめでとうと声をかけたときのこと。
「あのときアドバイスしてくれてありがとう」と言われた。本当の本当にたいしたことはしていなかったから、あなたの実力だよーと声をかけたら、
「本当に感謝してるんだよ」と言われた。
全く気づいていなかったけれど、その人はわたしに感情をもってくれていた。
そんなことがあって、とても嬉しかったのです。
誰かに求められる、なんて大それたことは難しいかもしれないけれど、小さなことで人は人にたくさんの感情を持っている。
きっと気づかないだけなんだろうと思う。
わたしもあなたも、思っているよりもっと、ずっと多くの人に、感情を持ってもらっているのかもしれない。
意味のないことなんてないのかもしれないね。
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項
わたしは、承認欲求という言葉は、
いつのまにか悪口の代名詞にしている。
自分が、ほんとにそれが強すぎて
辟易してきている分、手放したい思いが強いから、
口にする頻度が高いのだろう。
確かに、他人の評価だけをあてにして
自分の気持ちや、思い(自己愛)をないがしろにして
他人優先にしている生き方の「それ」なら
なんかなぁ〜ッて思うけど、
この、強情なわたしが、このごろ、もう、白旗をあげながら
自分のやり方をこわしにかかっています。
自分の正しさだけで、さんざんやってみて、これだけうまくいかないということは
やり方が違っていたということだもん。
みみず嬢のこの小瓶を目にしても、ひっかかりがない、というひとも
当然いると思います。
(もちろん、誰でも、あたしの小瓶も同じくです)
わたしは、LIVE状態の今の自分と、この小瓶の、
特に最後の4行は驚くほどシンクロ率が高いです。
(主観なので、一方的な受け取り方をしている
可能性もあります)
笑顔のあなたを見て、お掃除のおばさんの中に、
おばさんが持っている、笑顔から発する良いイメージの記憶が出て
あなたにありがとうが言いたかったのかなと思いました。
そして、また、あなたも、おばさんの言葉や表情から
あなたの中に以前からある
温かい思いを思い出され、相手に渡したいと思われたのかな?
などと、見てきたような憶測をちょっと書きました。
承認欲求ではなく、これも、豊かさの循環、承認しあうことの
よいところだなぁと、
かなりひどい文章で、とっちらかっていますが
(ごめーーーん!)
思いました!
わたし、自分の延長でモノを見ることが長くて
(程度がひどい)、それは減らそうとしたら
今度は、壁みたいになってしまっていたのです。
善意は受け取る練習!(日々本番ですが・・)
悪意は、自分の中にも同じものがあると、認める練習。
気づいたら、その先は、・・いろいろでーす!
(まだわかってないな!)
おわりー
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項