あのときも、あのときも、あのときも、
否定され、理解しようともしてくれなくて、
今の『私』が出来上がったのはあのとき母である自分が『助言』したからだと自慢気に語る『私』の母。
『私』でない私には価値はなくて、あの人にとっては周りに自慢できる『私』がいればいいわけで。
あれ、じゃあ
私って誰?私は何物?
『私』でない私はどういう風に生きればいいの?誰が必要としてくれるの?
母も、職場のあの人も、友達も
『私』のことを見てくれていて気にかけてくれて。
ぐるぐるぐるぐるしてワケわかんなくなったけれどまぁ、とりあえず。
『私』がいればいいので私はとりあえず黙ろう。
『私』を私が殺すわけにはいかないので、私達の器に八つ当たりして気をおさめます。
ほんと、生きるって難しい。