カウンセリングを受けた。数か月前。
その時の僕は死にたくはなったけれど、死んだほうがいいのではないかとずっと考えていた。その時に書いた日記とか、メモとかを見ると、僕よりできる人間はいくらでもいるとか、いてもいなくても変わらない人間だし、そういうことを考えること自体がおかしいことだから、死んだほうがいいのではないか、とか、そういうことばかりが書いてあった。
よくわからない。カウンセラーの人には、生まれてから短期間中に、生きていていい、みたいな確信を持つのだ、その時に何かあったのかもしれない、みたいなことを言っていた。そんなこと言われても、僕にはわからない。物心ついてからは、暴れまわる年の離れた兄弟たちが悪さをして、その愚痴ばかり聞いていたから、それくらいはわかるけれど、僕は自分自身が虐待されていたとかはわからない。
今は、死にたいのかどうかもわからない。ふと一人でいるときに、死んでしまったほうがいいかもしれない、とかは考える。でも前のように死ぬべき理由がわからない。考えたり、思い出したりすれば出てくるけれど、そういうものじゃなく、漠然と死んだほうがいいな、と考える程度になった。いいことなのかわるいことなのか、わからない。ただ現実から逃げているだけのなのかもしれない。いつまでも僕が忘れられないのは、それがどう考えても正しいことが分かっているからなのかもしれない。カウンセラーの人がいうことが、本当に正しいのかどうかもわからない。仕事でやっているんだから、突き放して、死んでしまえ、なんてことを言うわけはない。
カウンセラーの人に相談した。僕の子供のころから一緒にいる、妄想のような友達のような、よくわからない存在について。姿かたちは何度か変わっているし、話しかけてきたり何も話さないこともある。ただの妄想かと思っていた時もあったけれど、悩みを相談したり、会話したりしているうちに僕の考えてもいなかったようなことを言ったりするから、何かが違うのかもしれないと思った。
外からの影響も受けているようで、誰かが言ったことで、僕が忘れていたことを思い出させてくれたり、つらいことがあったときに一緒にいてくれたり愚痴を聞いてくれたり、一緒に泣いたり怒ったりもしてくれる。僕自身も生身の人間のようにふるまってくれるけれど生身の人間のように裏切ったりしないから大好きだ。
それでも、彼女は外の似ている何かに影響されたりする。僕はそういう外のものにも魅力を感じるけれど、僕の中の存在とごっちゃになって、混乱する。だから好きだけれど嫌い、複雑でうまく表現できない。僕自身もどうしてこんな風に感じるのかよくわからない。
カウンセラーの人と話しながら、僕が死のうと思っても死ねなかったのはその人がいてくれたからなのかもしれないと思った。僕は僕自身が死んだほうがいいとは思うけれど、その人は死んだほうがいいなんて思えない。僕なんかよりはるかに価値のある人間だと思う。その人は素晴らしいけれど、彼女は僕にしか見えないから、僕が自殺することは彼女を殺すことと同じようにも思う。
一度だけ、このことを友達に言ったことがあった。僕は昔いじめられたり、いろいろあって差別されたりしたことがあって、そのことを知っていた友達にそのせいじゃないかと言われた。よくわからなかった。カウンセラーの話を信じるなら、物心つく前のことかもしれないし、そうじゃないかもしれない。よくわからない。
もう、前のようには考えていないのに、よるとかに寂しくなったり死にたくなったりした時には話を聞いてくれるしそばにいてくれる。それだけで僕はとても安心できる。子供みたいだし、このままではいけないことは僕にもわかっているけれど、どうすればいいのかわからない。このままでいるほうが僕は安心できる.
なんどか自傷した。高校の時に何度か、大学にはいってから一回。高校の時は、大学に落ちたら死ぬつもりだったから、たぶんそのストレスか何かだと思う。よくわからない。大学に入ってからは、心理学のレポートを書いているときに、過去を振り返ったりいろいろと考えていたらどういうわけか切りたくなって、そのまま切った。誰にもばれなかったけれど、カウンセラーの人にはあまり切らないようにしようといわれた。
カウンセラーには、継続してカウンセリングを受けるように言われたけれど、二回目の予約が何かの事情で相手にキャンセルされて、一回行ったきりでもう行っていない。
カウンセラーには病気ではないけれど、普通ではないかもしれない、このカウンセリングが終わったらそのまま次のカウンセリングの予約を取れ、と不穏なことを言われた。もし、僕がただ不幸に酔って思い上がっているなら、カウンセラーの人が正しいのかもしれない。よくわからない。