秋も深まり、ある企業から内定を貰って数ヶ月が過ぎた。
内定が出たのは現在の1社のみ。
手を尽くして調べたところ、内定先には良い点も、不安な点も様々出てきた。
より良い環境を探して他の企業を受ける手もあるが、数ヶ月経った今でも重い腰を上げられずにいる。
あの渦中に戻りたくないがために。
就職活動中の苦しみは、それは凄いものだった。
ただ、具体的に何に苦しめられているのかと言われれば、それは自分にもよく分からない。
幾度となく自問したが、これといってピンとくる答えは出てこなかった。
就活生の中には、内定先が決まらないまま死を選ぶ者もいる。
その理由としてよくあげられているのが、企業に選ばれなかった自分を無価値と考えてしまうことだという。
自分の苦しみの原因も同じなのだろうか。
ただ、就活用の手帳をぺらぺらとめくってみると、原因はそれだけではないようにも思えた。
就活生が選考を受ける企業の数は、もちろん人それぞれではある。ただ、その中でも自分は、やや少なめだった。
相談に乗ってもらっていたキャリアカウンセラーの人にも指摘されたので、恐らく客観的にみてもそうなのだろう。
就職活動を進める意欲が湧かなかったためだ。
結局のところ、時間をかけて受けた選考で次々落選していく徒労感と、自分が向こう数十年生きていくという魅力を秤にかけていたのだ。
そして、後者は思いのほか軽かったのだ。
もう生きていたくないと思いながら、生きていくために努力を続ける矛盾への葛藤こそ、自分にとっての大きな苦しみだったのではないか。
そしてその矛盾は、これから先も、事あるごとに蒸し返される。
生きていくためには、常に何かしらの努力を要するのだろうから。
一体いつまで、その矛盾に結論を叩き出さずにいられるのか。それは自分にも分からない。
自分が経験した就職活動は、先延ばしにすることで触れないようにしていたこの問題を、はっきりと浮き彫りにしたのだと思う。