なんでもない日、ふと遺書をかきたくなることがある。
宛名は、何人も、と決めるとキリがないので
たったひとり、貴方宛。
わたしが貴方に贈る最後の言葉が、『ありがとう』であるように。
父が世界からいなくなってしまったのは、なんでもない3月の夜だった。
当たり前なんて、ないんだと知った夜。
ひとは予告なしに、消えてしまうと知った夜。
吐き気がするほどの長い長い、長い夜。
祈ることも、絶望することも、いままでも、これからも、全てぐちゃぐちゃになった灰色の夜。
その夜が明けたことは、私の16年間の『当たり前』の終わりを意味していたのだろう。
父がいなくなってしまったことは、
自分が思っていたよりも早くのみこめた。
あぁ、こういう縁だったんだな、と
捉えることが出来ていたから。
だけれども、こうやって時が経った今でも、
思うと心が苦しくなることがある。
それは、父の最後の言葉について。
私、一番最後になんて声をかけたんだろうか。
どの会話が、一番最後であったんだろうか。
父は、帰宅途中で心臓がとまり倒れていたそうだ。
それでは、その日の朝か?
違う、確かその日父は朝早くから仕事であった。
わたし、おはようなんて言えてない。
夜、寝る前か?
声をかけたか?おやすみと言ったか?
夜ご飯は一緒に食べただろうか?
私は塾に行っていただろうか?
いつだ、どれだ、どの会話だ
どれがさいごであったんだ。
思い出せ、思い出せ、思い出せ
思い出せ、思い出せ、思い出せ
思い出せ、思い出せ、思い出せ…
それは、あまりにもあたりまえのなかで。
自分が繰り返していけると、無根拠に信じてきた毎日の会話で。
最後の言葉になるんだと
初めからわかっていたのなら、
私は育ててくれた感謝の気持ちを述べたのに。
全ての想いを5文字にのせて、伝えたのに。
覚えてない、思い出せないよ。
それが、本当に、こころのこり。
そうして、思考は、ぐるぐるまわる。
わたしがいなくなったあとに読む手紙。
それは、わたしが最後に貴方に贈る言葉が、『ありがとう』でありたいと
そういう想いからきています。
書き出しは何にしようか。
こんにちは、だと固いかな。
いつもの調子を紙にかくと、結構間抜けかな。
やっぱり、一言だけにしよう。
その言葉で貴方が、笑顔になれると、いいな。