アドラー心理学の、嫌われる勇気
これが自分の理想として近いものだった
やった、変われるぞ私はなんて思ったが全然簡単じゃなかった
分かっていても簡単にできることじゃなかった
大人になりたくて、精神的に落ち着きたくて色々な角度からの試行をした。
それのどれもが少しずつ作用して、やっと一歩踏み出せつつあるかもしれない。
ていうか社会にでたこと。シンプルにこれが一番。というか人に恵まれた。
人はこうも変われるんだ。(自分にとっては大きな前進
23歳 親を憎む気持ちを消していくというか考え方を変える、自分を客観的に見る(フィルターが外れる、自分を受け入れる)
24歳の現在、やっと少しだけましになってきた。
恥ずかしいことも罪深いことも残酷なこともした。
謝れないことも取り返せないことも上書きできないこともした。
はたして意思があったのか。確かにあった、軽薄な意思が。殴りたいほど浅はかな意思が
常に暗がりに居たがって、悲しみに浸って、曲がったことを拒絶して、残酷なまでに素直でいた。
そんな自分の浅はかさが滲み出ていることに気付いた。
何か色々考えてこれかって感じだけど、今のところ一番効いてるのはこの考え。
「嫌な人苦手な人のことは考えない」
これで誰だ私ってくらい変わった。
人を敵だと思わないようになっている。
代わりに楽しいこと、好きな人のことを考える。これだって簡単なことではないんだけども
もう、なるべく愉快に生きようと考えてもいいんじゃないか、考えるべきなんじゃないか。
二つ目。例えば歩いているとき、私の足下から道を通る人々に向かって線が何本か伸びている感覚だったのを、
皆それぞれが空に向かって立つ独立した1本の棒のイメージに
つまり自己の延長上の他者でなく、それぞれの背景と価値観を持った独立した他者であると認識した。
ああ、これを自然に出来てる人もいるんだよな
今更でも気付けて良かった…
三つ目。自分で考える意識を持ち、自分に嘘をつかない。
嘘だらけだ。傷つけたくない、嫌われたくない、だから思ってもないことを口に出すのが癖になっていた。
癖になってるから難しいけど少しずつ嘘が減っている。
自分にとってはかなりの急成長だ。
正直社会に出たとかじゃなくて、あの笑顔のおかげなんじゃなかろうか。
いるだけで、力とか幸せをもらえるような人っているんだな。花みたいな。心がじわーっと暖かくなる。
心に太陽ってこのことなんだな。