最近は、少しずつ自信がついてきたと自分で思う。
でも、嫌でも聞こえてしまうテレビの音や「普通」の人から言い放たれる現実。
不安になる。
自分の考えは間違ってるんじゃないか。
自分も頑張ってなんとかしなくちゃいけないんじゃないか。
嫌とかこれがいいとか言ってられないんじゃないか。
今までのように、機嫌を取りながら、嫌でも死なないような立ち振る舞いでいなくちゃいけないんじゃないか。
あの人は誰がどう見ても強いから、嫌でも従っていくしかないのだろうか。
所詮これが現実なのか。
金と力がないと何もできない生きられない、見せかけに見えたその世界こそが「真実」なんじゃないか。
好きなように生きようと信じた傍ら、
そう生きると死ぬより酷い目にあうんじゃないか。
もしそうなら、やっぱり死んだほうがマシだ。
幸せな人ならいいが、
そうでもないのに、
結局人生は苦しいものだと言うのならば
産まないでほしかった。
生まれたくなかった。
生きているからには仕方ない、
せめてすこしでも楽しく生きようって思うが
それすらも許されないのか。
所詮、これが人生なのか。
自信なんて持とうとしたって、何も幸せには繋がらないのか。
もっと広い世界を見たい。
人生は辛いのが真実なのか、こんな世界でも幸せに生きれるのかが真実なのか、知りたいから。
名前のない小瓶
48018通目の宛名のないメール
お返事が届いています
烏羽
補足です。
あー、あくまでも、間違える事を恐れ過ぎないようにする事と、気を付けようとする事は別だからな!
気を付けろよ!ってのは変だけど、同じような失敗も、学んで活かそうとしてこそ、って事だぞ!
(俺が言えた事でもない泣)
気を付けないってわけじゃないぞー。
そん時に間違えたら、もう受け入れるしかない(苦笑)
その上で、活かすそうとする。って感じ。
偉そうにすいませんでした。
ななしさん
双葉みたいな小瓶ですね。
やっと芽が出たばかりで、まだ背も低いし、人にも気づいてもらえないし、ちょっとした風にもすぐ折れそうになるし…それでも、一生懸命伸びようとしてる感じがします。
努力は必ず報われるとは限らないし、報われる時まで何年もかかる場合もあるから、なかなか実感が出来ない今は、不安がつのるのも当たり前ですね。
不安を感じるのは、あなたが弱いからじゃなくて、強いからです。
受験や就活や婚活とか、顔や性格の良し悪しとか、世の中はたくさんの試験や課題や常識を積み上げて、私達を試し、ふるいにかけてきます。
あなたはそれに食らいついて、より良い人生を手に入れようとしている。
流されないように、必死に自分の足で立とうとしているから辛いんです。
そういうあなたが、自分を弱いとか情けないとか思うことなんてありません。
ここを踏ん張って、もっと伸びて花が咲いたら、きっと違う世界が見えるでしょう。
あなたが生まれてきてよかったと思える日が来るのを祈ります。
顔を上げて、自分の思った道を歩いて下さいね。
ななしさん
初めまして。
『生まれてこなければよかった』と思いながら、現実に耐えるのは辛いですね。自分にも、経験があります。
周りの目を気にせず、1人で打ち込めることが、なにかありませんか?自分が楽しいと思えることが。自分は、誰に認められるわけでもないですが、それに救われました。
そしていつしか、こう思うようになりました。『普通』になれないなら、『普通』じゃないことをやってみようかな、と。
烏羽
案外、当たりではないが、そうそうハズレでもない、近い所にいるのかもな。
けれど、まだ戸惑って、うまく認識出来ずにいるだけかもしれん。
辛さも幸せも、真実だ。両方ある。両方じゃない事もある。
きっと自分の持てる全てだろう。
全てを出し尽くすか、そのすべての中から選び取るか、その選択の仕方、全種類でもあるだろう。
自分でこの先がどうなるのか、どうなってしまうのかは選べるものではない。
どうなりたいのかは、選べてもな。例え予測できようと、先の事など確実にわかるわけもない。
広い世界は、自分の中にも自分の外にもある。
知るといいさ。悲しみも喜びも、身を持って。
その先に出たものが、どんな「普通」の人と違おうが、間違いだと感じようと、間違いだと言われようと、それは自分の考えだ。
自分の中の、その時点の「普通」でしかないだろう。
誰もが皆真実の中にいる。誰もが皆嘘の中にいる。そして同時に外側にもいる。
故に誰もが、真実と嘘を知り尽くしてなどいない。人生を語り尽くせるものでもない。
語ろうと思えばできるだけ。
知ろうと思えば知れるだけ。
まあ、知ったつもりになった事と、知る事、というのは決定的に違う事だろうがな。
誰もが皆狭間にいる。あるいは、狭間と共にある。狭間と、隣り合わせにある。
だからこそ認識を間違える事もある。
間違える故に認識、というそのものの概念を知る事ができる。
俺はそう考えてる。
考えている、それだけだから、間違いだって沢山あるだろう。
言葉が全てではないから、伝わらない事がある事など百も承知だ。
自分が間違える事を恐れる過ぎるものではないよ。
全てを間違えない人間がいるのならば、何が間違いなのか、どう間違えると、どう危険があるのか。
その人間は間違いという認識を知る事が難しいのだから。
何が良い、悪いではない。
何を良いと思うのか、何を悪いと思うのか。
それ込みで人は選択をする。
だが、自分の内側にある全てのものことを、意識的にでも無意識的にでも、全て決めつけようとすれば、それは人の自由を奪う。
人という、生き物という側面の1つを、自分自身から奪う事になるかもしれない。
学びには終わりなどないよ。
終わったと思う時は、自分が学びから離れ、自分自身が自分から離れようとした時だろう。
その事自体には、良いも悪いもない。
それを体感する事も学びの1つと言えるだろうから。
ななしさん
いや自信を持たなきゃ幸せにはなりにくいのは本当だと思います。
強いて言うなら自信を持っていない時点で損する率が高いと思います。
産まないでほしかったと辛いと感じますが、仕方のない事です。いくら嘆いていても、変わりません。確かに世界のせいにしてしまえば気持ちは少しは楽になります。けれども何かのせいにしてしまっている時点で幸福を呼び寄せられるわけがないんです。世界を見たいのなら実行すれば良い。いつも思うだけなら誰でも出来るんだから。実行しない限り道は開かない。分からずじまい。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。