心の扉の小瓶
心を扉を開く・・・て言うのはいったいどういう事なんだろうか?
と言うのも、最近尊敬している同職種の方とメールをしていて、「〇〇先生は、なかなか心を開かない人なので~」と言う内容があった。
尊敬している先生は、私より多分7、8歳若い女性だがとてもしっかりされている。
社会なんて建前の世界。
相手が建前を言っていても気にならないくらい、本音を話されることの方が少ない。
なんでその人が心を開いていないことがわかるんだろう?
私の話をすると、私こそ心を開いて話すことは少ないと思う。
例えば、自分がトラウマになっている言葉を大好きな人からさらっと言われても、「その言葉は嫌だなぁ…。」と本人に伝えることはしないというか、出来ない。
そんなことくらいで凹んだと思われるのも嫌だし、もしかしたら私も知らないところで傷つけてしまっているかもしれないと思うと・・・言えない。
一晩グ―――っとロングスリープすれば、私の脳は単純だ。
心臓が締め付けられる程辛いことも、9割がたすっかり忘れて笑顔で接することが出来る。
そう言えば・・・大好きな月の君から、心を開いてもらったことがないと言うか・・・開いてもらったように見えないと言うか・・・。
今一番交流を持ちたいんだけれど、ずーーーっと片思い・・・。
彼女の素晴らしさを語れるのは私が一番だと思っている。
色々な話もしっかり本当は対応できるんだろうけど・・・、今置かれている環境やら住んでいる人のことを考えると時間は割けないないんだろうなー。
でも、少しでいいから月の君の心の扉を開きたい。
どうしたら少しでもいいから心の扉を開いてくれるだろうか?
ななしさん
小瓶の疑問とズレたお返事のような気がしている…気を悪くしたらすみません。
まずね、心を開いてもらった実感がないのに、月の君の素晴らしさを語れるのは自分が1番だっていうのは、矛盾していると思ったんです。
月の君が心を開いてないなら、あなたから見えている彼女は、建前の姿の彼女ってことですよね。建前しか見えないから、寂しいとか距離を置かれているようにあなたは感じている。
それなのに、素晴らしさを1番語れるのは自分だと、どうして言えるのでしょう。
もしかしたら彼女の本性はすごく嫌な人かもしれない。または彼女の素晴らしさをあなたより知っている人だって、たくさんいるかもしれないのに。
と、ここまで考えて思ったんです。
人は真実とか事実とかより、自分の視点にそってものを見ているんじゃないかと。
相手を見る時、相手をありのままではなく、「この人はこうあって欲しい」という自分の理想を通した視点で見ることって、案外多いように思います。
例えばイケメンが運動音痴だったり、美女が汚部屋だったりしたら、ブスよりショックが大きかったりしませんか?あれってイケメンはかっこよくサッカーやバスケしている、美女はおしゃれな部屋で優雅に暮らしている、という願望めいたイメージのせいだと思うんです。
いい子キャラのベッキーの不倫があれだけ激しく叩かれたのも、そういう心理が働いたせいじゃないかと。
つまり、自分の理想のフィルターを通して月の君を見ている限り、あなたは彼女の本来の姿を見つけることは出来ないのではないか。
仮に心の扉が開く瞬間があったとしても、あなたはそれを彼女の本音ではなく「彼女らしくない」と感じてしまうのではないかと、私は思うんです。
そういうフィルターがあると、いつまでも彼女との距離は縮まらないのではないかなと。
忙しそう、時間が割けなそうなのは建前の彼女。強がっているだけで、本音は誰かに気遣われたり優しくされたりしたいかもしれません。
でもあなたが「時間は割けないだろうな」という建前の姿から描いたイメージのまま、付かず離れずの距離を保っていたら、いつまでも本音の彼女には出会えませんよね。
本音で付き合える関係って、そういうちょっとした機会を逃さず、自分が傷つくのを恐れずに踏み込めるかで深まると思うんですよ。
フィルターを外して近づいてみたら、もしかしたら心の扉には鍵なんかかかってなくて、月の君のことをもっとよく見ることが出来るかもしれないですね。