やあ、久しぶりですね。かんおけです。
でも本当は久しぶりじゃないんです。
当時ほど宛メに固執はしなくなったけど、
今でも時折ふらっとサイトを訪れて、名無しで投稿しています。
今こうやって昔何度か使っただけの名前を使っているのは、
ふと昔流したメールを読み返して、思い返したから。
そういう意味では私の心情は今『久しぶり』なのです。
確か、大学院試験に合格しました、という話で終わっていましたね。
もう院生生活も終わって(所謂退院ですね)、働き始めました。
ついでに地元を離れて、いまひとりの部屋でこれを書いています。
そこそこ忙しくなった毎日の中であのころを思い出すと、
解けかけの魔法にしがみついて、毎日眠らなくても夢のようで。
なるべく未来を考えないように生きていた、そんな気がします。
でもあのころよりも、臆病になったのかも知れませんし、汚くなったのかもしれません。
友達も多くは無いし、それと関わるような気力もあんまり沸いては来ないし。
部屋で日がな一日過ごすことが多いです。
ところで、今の私の仕事って(詳しくは言えないのですが)、綺麗な『色』を創る事なんです。
絵を描くとかそういう芸術的な事では無くて、物体として現象としての色を出す研究をしています。
もしも昔の私、例えば小学校の頃の私が聞いたら、きっと爆笑するでしょうね。
なんせ私の絵の色遣いは先生に心配されるほどのものでしたから。
色彩センスがゼロに近い私に作られる色も、まあ気の毒と言えるかも知れません。
でも私気付いたんです。
私のやっている仕事が上手くいって、製品になって世界中のお店で売られる。
もしかしたら世界中で、私の『色』が見られるかもしれないんです。
私はその事に気づいたとき、泣いてしまいそうでした。
だって、それってすごいことじゃないですか。
どんなに友達が多い人だって千人とかだと思うんですけど、
何百何千、もしかしたら何万人の人の手に渡るかもしれないわけですよ。
今の私は人付き合いが苦手。
たぶんきっとずっと苦手なままでしょう。
大きな声を出して、この指とまれ、なんて出来そうにない。
暗い路地の、揺らいだ街灯の明かりを目指して進む羽虫のような、そんな生き方。
そんな人間が、ほんの僅かな希薄な繋がりでも、繋がれるかもしれないわけで。
それって、すごいことじゃないですか。
ずっと空っぽなまま生きてきました。
掴めない星に手を伸ばし、開かない羽は傷つき、届かない想いに苦悩する。
毎日全てが入れ替わる人生の中で、大切なものやひとを失くしたり。
自分には色ない透明で、胸に空いた穴に風が響いてとにかく寒かった。
穴がどんどん大きくなって、そのうちすっかり覆い隠されてしまうような気がしていました。
それでも、今、もしかしたら生きていて良かったのかもしれない、と思っています。
例え私自身は透明のままで、いつしか音もない風の中に消えていくとしても、
どこかの誰かの幸せを、その人の人生の色の一つを、私が作ることが出来るのなら、
きっとそれは意味がある事なんだ、ってそう思うんです。
私が好きな、この世界の彩りの一片になれるのなら、とてもうれしい。
とはいえ、今お仕事が順調に進んでいるとは言い難いのが現状です。
単純に綺麗な色を出すのがとても難しく、上手くいかないままで別の仕事に移る可能性もあるし、
むしろその確率の方がずっと高いんじゃないかって思ってます。
あと何年かしたら、もう仕事が嫌になっているかもしれないし、全然別の仕事をやっているのかもしれません。
それでも、今のこの時の感覚を忘れなければ、たとえどんな仕事であっても、
どこかのだれかのなにかになれるのならば、まだ働けると思うし、それが生きるってことなのかも、とも思います。
ところでもう一つ、実は文章を書き始めたのです(そういえば昔、長文を書きたい、という旨の手紙を流しました)。
今は二次創作みたいなことをやっていて、最近はそれが結構楽しいです。
かつては書きかけて、途中で自分の稚拙さに嫌気がさして止める事ばかりでした。
でもここで、私の流したメールの文章を褒めてもらうことが何度かあって、
勇気を出して一つ書き終えることが出来て、それを投稿してみたら、何人かの人が読んでくれて、評価もしてくれる。
何より私も一つ何かを完成させることができたんだ、って言う事がうれしかった。
完全に趣味としてやっているので、休みの日にしかやらないと決めているのですが(眠くなってしまうので)、
頭の中だけで描いていた物語が、他の誰かと共有できる。素晴らしいシステムですね。
今は二次創作しかやっていませんが、今年はオリジナルにも挑戦してみようかと思っています。
もしも、これを読んだ人の中にかつて私の文章を褒めてくれた人がいるとしたら、ありがとう、と伝えたいです。
今住んでいる所は臨海地帯なので、晴れた日には海の青がきれいです。
お気に入りのカフェはゆっくりとした音楽と、コーヒーの黒、それからぼんやりとしたライトの白がすてきです。
帰り道の土手を歩くと、夕陽の赤がよくみえるところがあるんです。
今日は雪が降って、真下の公園は真っ白で、子どもたちが楽しそうに遊んでいます。
この場所の全てが良い訳じゃないし、今の生活の全部が良い訳じゃない。
出来ない事が無尽蔵にあって出来ない自分に嫌気がさすし、煩わしい人間関係で勝手に疲弊したり。
それでもこんな風に景色に思いを馳せる日がある事。
全部が上手くいってくれれば、それは一番いいけど、それは果てしなく難しいんだろうけど、
例えば瞬間を切り取って、その一瞬を美しいを思える、そういう心を。
死ぬまでの事も、十年後の事も、来年の事も、来月の事も、来週の事も、明日の事も決められない。
決められるのは朝の服装と、夕食のメニューぐらいだけど。
そういう心を、持っていたいと思います。
かんおけ