母の日
職場の人は、子供から財布や鞄をもらうんだってって言ってた。
兄は、なんか高級そうな服をあげてた。
私は、花屋で買った1000円くらいのただのカーネーションアレンジ。
母はありがとう!って言ってくれたし、気持ちが大事と頭では分かってるけど、モヤモヤ。
職場の人はこんなに貰ってるんだよと言われてるようで、単なる話のタネでそんなつもりはないんだろうけど、モヤモヤ。
気になって、気持ちはこもってるから!と自分でも恩着せがましいみたいなこと、言っちゃって。
大丈夫だとか違うとか考えて、比べるものじゃないって思うけど、モヤモヤは消えないまま?
ちょっとだけ、ちょっとだけ、泣けてきた。
名前のない小瓶
49299通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
私はどんなプレゼントでも子供がくれるなら、とても嬉しいと思うよ。
そのシーズンには母の日用のカーネーションが印刷されたカードも発売されているから、来年は添えてみるのもオススメです。
まだ社会人でもないなら、高価なものは無理やし、値段じゃないよ。
選んで贈れた小瓶主さんを、なんて優しい気持ちの人だろうと思いましたよ。
ななしさん
これって、もうだいぶ前の小瓶かな?
私、母親の立場から。
冷めてる私の意見。別に何もいらない。
本当に息子が元気で生きてくれてたら。
(これ言うと、いいカッコしちゃって〜なんて知人に言われてムッとしたわ。本当なのに)
欲しいものがあれば、素直に、おかあさんに、あれ買って!と前もって言います。笑
だって〜どうせならその時の欲しいもの、の方が嬉しいな。
もやもやしなくていいよ。
親孝行ものよ。
烏羽
そうなんか。
なら、もう悔しかったのは仕方がないし、気持ちに少し整理がついたら、まあ気が向いたらでいいし、俺が言う通りにしなくていいから。
今度は高価でも高価じゃなくてもどっちでも良いとは思うけど、長く使って貰えるとか、なんか楽になんないかとか、そういうものを考えてさ。
増えすぎても困るだろうけれども(笑)
自分のプレゼントに納得いかなかったんなら、次。
職場の人の事から、これは良いと思ったものをリストアップしておく、とかはどうなんかな。
母さんを喜ばせるのはいいにしても、どんな感じで喜んで貰えるのか、そう言う所をグレードアップ出来たら、更に喜んでもらえるかもしれない。
日常会話や、母さんの何気ない一言から考えるのもありだな。というか、ある程度聞いておいたり、勘付かれないように(いい意味で驚かせるために)するのも手ではある。
ただ、秘密裏に物事を進めると、相手が何を貰えたら嬉しいか、そこが置き去りになっちゃう事もあると思うから、自信がなかったらちゃんと当人とか、当人の周りの人に聞いとくのも大事かな。
…残暑見舞いに、水羊羹とか(単に俺が好きなだけで、小瓶主さんの母さんが苦手だったらすまんが)…なんか、ちょっとした好きなもんとか、そういうのでも、また練習になるかもしれん。
言ってしまえば、「エブリデイ母の日」でもいいんじゃないか(それはやり過ぎか笑)
あんまり変なものだと人によっては貰っても困るかもしれんが、たしか高級爪楊枝みたいな、そう言うものもあるぞ!
そんな感じな、ネタに走るのもいいかと思った。
母の日父の日、残暑やら寒中見舞やら、まあ、照れ臭かったりしても、理由はなんでもいいやろ。
あくまで1つの考え方ではあるけれど、モヤモヤはプレゼントや相手への思いやりへ活かすために、持っといてもいいんじゃないかね。
ななしさん
(小瓶主)
気持ちとしてはまさに鳥羽さんの言って下さった通りです。
ななしさん
モノでも言葉でも
「何」をもらうかより
「誰」からもらうか
のほうが重要だと思う。
かわいい子供からなら
道ばたの石ころでも木の実でも雑草の花でも、うれしいんだよ。
ちょっと気になったのは
「ただの」カーネーションアレンジって言い方。
そのカーネーション、一生懸命育てた人も、そのアレンジを一生懸命作ってくれた人がいるんだよなあ、ってこと。
そのお金を準備して、一生懸命選んだ、健気なあなたがいたんだよなあ、ってこと。
この世に価値のないものなんてないし、その価値に優劣をつけることなんて、誰にもできない。
だから、あなたのプレゼントもお兄さんのプレゼントも、お母さんにとっては、等しく世界一嬉しいプレゼントだと思うよ!
冬
とても困惑させたかなと思っております。
でももし可能なら、出来るならモヤモヤの正体は知った方がいいのかなと私は思います。なぜなら自分は今どういう思いに囚われているかわかるからです。気がついたらこそ、それを外すも付けるも自由になるから。
という、前置きをして。
私の父は昭和の一桁生まれでいわゆる赤提灯的な店が好きです。私はそういう所は苦手なので入りません。小洒落たカフェやレストランが好きですし落ち着けます。
一回の食事代もまあ一杯飲み屋さんの方が安いと思います。
父から見ると私は高級志向なのかもしれません。でもそれぞれが自分の好きなところへ行く、それだけな気もします。
赤提灯と小洒落たカフェ。それが高級かどうなのかは比べるという視点が入ること。誰と何を比べるのか。
ただそれが好きだけでも、いい気がします。
「平成のこの時代に俺は気の利いた店には入れないダメなやつ」と思うと父はダメな烙印を自分に押すことになる。
「店は綺麗じゃなくても、知らない人が和気あいあいに過ごすあったかい所にわたしは入れない」と思えば私は自分をダメだと思う。
ダメかダメでないかは比べるところから来ている気がします。
出来れば、ですが、素晴らしい靴や鞄、服にも贈った花々にも、同じお母さんへの想いを乗せることだけで私は十分じゃないのかなと思います。その想いの名前が「愛」なんじゃないでしょうか。(乗せなくても勿論もいいけどね)
高級志向か否か、それはそもそも良いとか悪いとかの部類わけは不要だと思うんですよ。
烏羽
うーん。
アレじゃろ、もしかするとそのモヤモヤは、それだけじゃないかもしれんが、自分が花をあげた事についてまだ思う事があるのかもしれん。
俺だったら…なんだっけなあ、小さい頃の話で、今はプレゼントあげてないんだけど、周りがハンカチとか実用性のあるもん上げてて、なんかしら自分のあげたものはこれでよかったんだろうかと思っちゃう事もあった。
それと重ね合わせるようで悪いけれど、こうしたらもっと良くなるんじゃないか、って気持ちと、やってしまったんじゃないか、って気持ちがないまぜになってしまっているのかもしれない。
高級かどうかは…他人事だからかもしれないけど、モヤモヤとあんまり関係ないような気がしました。(関わりあるっちゃあるんだろうけどもね、程度的に)
別に高価なものを買える歳じゃなくても、似たような思いはあったのかもしれないし。
まりちゃん
横レスでごめんね。
2通目さん、わたしは、やっぱだめだ。
キツいね、この話は。
事実だから、額の大小じゃなくて、
きついね。
全身からちからがぬけて、放心状態になるわ。
いつ聞いても、なんでしょうかねぇ?
同情とか憐れみとかじゃなくて
とてもとても、見知った感情だからだろうなぁ。
そして、この悲しみは
とても、とても、大きいけど
わたしの中にも、あなたのなかにもあっていい感情です。
残酷すぎること、書いてることわかっています。
どうしても、涙を伴う、深い悲しみですが
(わたしは、ね)
おかあさんから生まれたあなたへ
おかあさんからの、ある意味置き土産でもあります。
大きな悲しみ、あなたのなかにあっていいです。
感じきってください。
そして、それが、終わったら、必ずその反対側にある
「自分も、喜びのなかで生きてもいい」という
事実も、きちんと受け取ってください。
悲しみ、大きい人は、
反対側も大きいとわたしは思っています。
それは、ある面から見れば、器とか、情の深さがあるとも
言えますが(受容した時点で)
豊かである、とも、言えるのではないかとも
書きながらですが、思いました。
あなたは、ねこにもやさしい
愛の多い人です。
それと同じものを、自分にも同じくらい
与えて上げてくださいね。
あたしもだけどな!
ひとに言いたいことは、自分が自分に掛けてあげたい言葉。
ではでは。
名前のない小瓶
(小瓶主)
何を言ったところで、モヤモヤするということは、所詮は自分も高級なものじゃないと嫌だという人間。
しかし、そう言われるとまたモヤモヤ。
結局、どう考えてみたところで、モヤモヤは消えない。
名前のない小瓶
(小瓶主)
自分でも贈る側の時の気持ちと、貰う側の時の気持ちはまた別物というか違うものなんです。
信じていないワケでもないし、自分が高級なのが良いワケでもないです。
自分はダメな奴だと言ってる人がいたとして、そんなことはないと思うけど、自分をダメだと思う気持ちも分かるって感じ。
その人がダメとかじゃなくて、自分も自分をダメだと思うことがあるからって意味で。
要はそれはそれというか、異なる二つの気持ちがあるという感じで。
でも、モヤモヤしてしまうってことは、やはり私ももらうなら高価なものが良い!という人間ということか…
名前のない小瓶
(小瓶主)
信じていないワケではないし自分がもらう側だったら気持ちが嬉しいと感じます。
でも、やはり贈る時ともらう時では気持ちや感じ方が違ってくるものです。
名前のない小瓶
あたしは、勤め先のお菓子をラッピングセットに入れて、社割して800円!!
安かったのか知らん…
冬
主さん、お誕生日に出来れば靴や鞄、高級そうな服が欲しいのかな?気持ちのこもってる1000円の花よりも。
別にそれもありだなって私しゃ思うけどね。
物より心ってよく言われる。
心を表すために物が使われる。食事とか旅行とかも含めて。心は見せらんないかならな。
そこにあるモヤモヤの違和感の正体は、人はこんなに物をあげてるのにあげられない私のダメさ加減なのかな?それともそんなことする人こそダメってことなのかな?他の人の言葉を、こんなものもらってるんだって言ってるように解釈したのは主さんだからそう書いてみました。
こんなものしかあげられない自分は本当にダメなのかなあ?高級そうじゃなきゃダメなのかなあ。そう思う人はダメなのかなあ。でも、そこに価値を置いてるってだけだよね。それだけのことだよね。
ななしさん
僕は親不孝な人間でした。
皆のためとか、母のためと口で言いながら、本当は自分のために生きていました。
何年も母には苦労や嫌な思いばかりさせていた。
仕事で評価され大金を手に入れたので、母の日に旅行に誘ったのです。
「病気だから行けないよ。」
母と旅行なんてした事もない、貧しい生活だったから。
「そうだよね、じゃあ当面の生活費。」
そう言って、三千万円を渡した。
それから三ヶ月後。
僕に「寂しいね。」と笑った夜に、首を吊りました。
翌日、テーブルの上に三千万円とボロボロの四枚の封筒が有った。
手紙には「生活費は必要無くなるので返します。
葬儀代は封筒の四百万円で払って下さい。」
「寂しいね。」と思わせた馬鹿息子。
葬儀代を用意させた馬鹿息子。
後悔しか残らない。
お金が幸せでは有りません。
安い物でも良いです。
いつも一緒に居る事が大切で、寂しい思いをさせないのが大切です。
僕の全財産は数億円ですが、出来る事なら母を生き返らせたい。
そのためなら、一円も要らない。
愛と心は金額で計れないのです。
まりちゃん
職場のひとの日、でも、兄の日でもない。
母が喜んでいたら
それがすべてさ。
気持ちがうれしいって、方便じゃないよ。
値段じゃないよ。
ぬしさん、その気持ち、信じてないなら
ぬしさん自体、方便と思っている方なのかなぁと
少ししょんぼり思いました。
違っていたらごめん。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。