幼いおもいをひとつ、葬りました。
断ち切るのはものすごく痛くて、想像した以上に延々とくるしみました。
先がないことは、じぶんを傷つけているだけだということはわかっていて、それでも長いあいだしがみついてきました。
そっとふれるきらきらを、やきもきすることさえ心地よい時間を教えてくれたかもしれないけれど、
私は、しあわせになりたい。
擦り切れた心を抱えて泣く夜は、もう十分。
そんな頃の自分をいじらしくおもえたら、
先に進みたいって言えました。
みんながばらばらになっていく足音をききたくなくて耳を塞いで、必死に「このままで」居ようともがいた。
振り返ると今でも壊れてしまうような過去も、こうして出逢うための道だったのならばいいや って、おもえたほんの一瞬を、なつかしく思い出します。あの日の蒼く静かな思いが予感だったとするならば、どれほどせつないことでしょう。
私の予感はいつだって、必ず当たるんです。
まだ、一緒にわらって過ごせているのに ふっと、あなたの言う「次」は 「来年」は、ないことをひとりだけ、みてしまう知ってしまう。さみしくて、こんなの要らないって叫びたくて、荒んだ気持ちで綻びを、先に見つけようと躍起になって、結局さよならしてからやっぱり変えられなかった ってズタズタになって。
くるしかった
ようやくそう言えました。
終わってゆく日々を守ろうとしていた私に、きもちをぶつけてくれたひとがいました。
いよいよ戻れない、ばらばらだって 泣いて泣いて、
だけど目が覚めはじめたの。
かたち を保とうと必死な私。それでいまも、しあわせなの?
おもっていること
感謝
下手な言葉を届けようとしました。
ほんとの言葉だけで伝えたくて。
この小瓶を拾われたあなたも多分いま、なんのこっちゃわからんと思うのですが 汗、削ぎ落として、もちろん綺麗じゃないし、余程ぐちゃぐちゃになってしまいました。正直 ぜんぶ伝えられたとは思いません。でも、やっと素ではなしているねって受けとめてくれた彼らを本当に、だいすきです。おかげでこうして、私はひとつ、終わりにしたよ。
あの日のあたしたちに、さよなら。
全然器用じゃないから、ながいながい時をかけて、それだけで消えてしまいたくなるくらいに迷惑いっぱいかけて。というかほんとのこと言うとまだ、薬を久しぶりにつかうくらいいつもより情緒不安定で、客観的にみてかなりやばいひとで、
なのにどこか、ふっと解き放たれたようなおもいで居ます。それはとてもさみしくて、切なくて、優しい気持ちです。
あいしたい
って願って歩いてきた。
でもね、いまはなんでだろう。めいっぱい大事にされたい。あたまとかくしゃくしゃーってして、がんばったって言ってもらいたい。私は私をちょっとだけ、大切にしたいよ。これらぜんぶ禁じて、むしろ嫌がっていたことに気づいていくよ。
この小瓶がひろってもらえる頃は、どんな時間なんだろう。
今はね、よる。いちばんすきな世界。
ここは大阪なんだけど、ぽつぽつみえる星が綺麗なんです。暑い一日だったから、柔らかな風が素敵なんです。一緒にみたいくらいです。
49364通目の宛名のないメール
小瓶主の返事あり
お返事が届いています
烏羽
小瓶主さんのお返事を読んだ上で。
自分の、広いとは言えない交友関係や、宛メの中で、どうにも自分が思っている事を本当に表そう、伝えようとすればするほど、その気持ちを言葉に置き換えるのがとても難しい事なのだと痛感する事が多かった。
思うに、一見矛盾するようでいて、実はその根元は、同じ場所である気持ちというものがあるからなのだと思う。
打ち消しあうようなものもないとはいえはないが、別々の方向から同時に、同じ場所へ手を伸ばすようなもので、互いに干渉する事なく存在したりもする。
曖昧で、認識する事も難しい、かすかなものが存在したりもする。それらを全て伝えようとするのはとても難しかった。
ショックなものはショックだ。
嬉しかったものは嬉しかったものだ。
今現在思う事とは別に、確かにそれらも本当の事ではあったのだろう。
今と過去は違うのだから、省みれる事は良い事だと感じるけれど、その時のものがどうだったのか、わからなくなるのも無理はないように思える。
新しい事を始めた時は、いつだって、こうなるんじゃないかの思いはあっても、先行きなんて知らないもんさ。
その中で、自分がやっている事が正しいのか正しくないのか、間違っていないかどうかに目が行きがちになったりするような所も俺にはあった。
進む道を決めるのも、例えば俺だと長い文章の中に内容詰め込み過ぎて、要点絞らないと時には何伝えたいだとか自分でもよくわかんなくなったりするし…
間違っていないかどうか気にしまくったり、自分が不安になったりする時も、目指そうとする場所を意識する事は大事になってくるんじゃないかと思う。
ただし、それが自分を追い立てるようなものになってしまうと、辛かったな。
(あえて自分で縛ろう、追い詰めようと思ってやってみる時はその限りでもないが)
本当は、自分の追っているものだった筈なのに、意図せぬ間に、自分自身が自らを追い込んでいたというか。
指標や指針、そう言えるようなものは、あくまでも自分が意識していたいと思っていたものの筈なのに、何故か自分自身に強制されているような、不思議な状態になっていたというかな。
目をそらす必要はないが、出来なかった事、出来ていなかった事だけを探しても不安になったり、辛くなるだけさ。
それをこうしたら出来るんじゃないか?と出来そうな事に結び付けたり、自分が疲れてると思えたら、考えを切り上げる事もあるといいかもしれないな。
大きく嬉しかったものも、大きく悲しかったものも、誰しもそれぞれ抱えてる。
それが人を支える、いわゆる軸になる事もあったり、何かの原動力になったりと、信念や執着になったりもする。
思い出って、きっとそんなもんさ。
欲しい軸の形のようなものが見えるなら、それを目指すのもいいと思う。
ただ、何かをしたい、ってその気持ちそのものも、1つの道への軸ではあると思うよ。
自分の意思と出会えたのだろう事から…多分、余所者が推測するに、軸が変わって来ている最中だからこそ見えるものがあったり、揺らいだり。
今までと違う軸になりつつあるから、その視点で見るとなかなか見え難いものもあるだけで、軸は、着実に出来かけてるんじゃないかな。
まあ、ここまで書いては来たものの、推測は推測だし、小さな小瓶さんの思う事の全てについて言及できるものでもない。
簡単にいうと、自分の事は自分で考えてくれい。
それぞれのペースの中で、着実に良い一歩を願う。
ちいさな小瓶
(小瓶主)
この、こわいくらいな多幸感に包まれた夜からこっち、なにかがくずれたような状態です。
引き千切ってはいけないものを投げてしまったのでしょうか?
馬鹿みたいなたのしさと ぐちゃぐちゃな辛さがますます交互にやってくる。
ふとここ最近のじぶんの流した小瓶を読み返し、怖くなります。こんなにはしゃいだっけ、とか こんなにへこんだっけ、とか、わからないのです。
心無いお返事などしていないか、気掛かりです。ごめんなさい。
だけどやっぱり、この優しい気持ちもほんとうなんだ。
うれしくはしゃいだ日もほんとう。
訳がわからない。
軸 を、探し直しなのかなぁとおもいます。
伝えたこと、というのはそんなに大したことではないです。
いちばん辛かった記憶も、今の気持ちも、拙いけれど一部だけれど聴いてくれたことがどれほどうれしかったか。
今の状態がしんどい理由。一緒に居たい、初めての我儘。そう、一人が嫌 とかじゃなく、ここにならば一緒に居たいって、じぶんの意思とは初めてであった。
捨てたもの、というのは、はっきりとは言えないのですが、長年私を縛ってきた考えというか価値観かな。こうしなきゃあいされない、とか 進む道を決める指針とか、になっていた。
誰にも触れられない、取るに足らないものになりたいのと、でもみててほしい構ってほしいのの、変なごちゃ混ぜ。
こういう場でも、簡単にまとめられず
色々酌んで!とばかりにふわふわ流れるところ。
うーん、ますます言葉が 使い物にならなくなっていく。
でも、たくさんのひとに考えに出逢えたのは、現実でも此処でもことばのおかげ。
ここがあたらしい、出発点でありますよう。
この宛メで、こうして吐きだすようになってもう随分長い時間になります。
いつもお返事など頂き、ありがとうございます。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。