宛メのお返事ってどうしてこんなに嬉しいんだろう!
手紙やメールなどで長文や思いを伝えることが少なくなったこの時代だからか?
その人が自分の書いた小瓶に何かしらこころを動かして、お返事を書いてくれたという事実が嬉しくてたまらない。
一言でもうれしい。
当たり前のことでも嬉しい。
自分の視点と違ったお返事ももちろん嬉しい。
共感も提案も推薦も、
宛メのお返事となるとなぜか素直にあたまにはいってくる。
いつも読んでくれてありがとう。
…と。
お返事がすごく嬉しいことは十二分に承知である。
でも自分がお返事を書くことはあまりできていない…という。
自分が打った言葉がその人を傷つけてしまうのではないか。
そもそも何とない呟きで、お返事はいらなかったり…?*
私の考えを晒しても、この小瓶主さんは…云々。
あぁふみだせない。
自分の考えることがみんながみんなに当てはまると思ったことがない。
だから、自分が嬉しいことが相手にとっても嬉しいと考えることができないんだ。
(望むくせに)
宛メに投稿されてる方へ
小瓶、読んでます。
届いてますよ。
お返事を書く勇気がいま出てなくてごめん。
貴方の願いが叶いますようにと思ってる。
貴方の人生で大切なものが出来たらいいなと思ってる。
吐き出し系ならそんなことがあったのかって驚きつつ、慰めたいと思ってるよ。
小瓶を流してくれてありがとう。
貴方の紡ぐ言葉が私の思考をまわしてくれます。
(そういう点では管理人さん、宛メという環境を与えてくださっていること、感謝しております)
でも、やはり、
思ってるだけではなぁと思いつつ…。
とりあえず、いままでの思いはこの小瓶で流させてください。
いままでお返事を送ろうとおもって思いとどまってしまった皆さんに届きますように…
*サポーターとなれば、お返事不要を選択することができます。また、2通流せるというのも、嬉しいものだったりします。皆さまも是非。
49501通目の宛名のないメール
お返事が届いています
宛名のないメールの管理人
宛メの管理人です。
本当にお返事をするのは難しいと思います。
宛メは「話を聞いてあげる場所」、批判否定なしに「うんうん」とただただ話を聞いてあげる場所になりたいと思っています。
それをインターネットで実現する一つの方法として、「お返事」があると思います。(ちょっと矛盾してる感はありますが・・・)
もしお返事が難しいなと思ったら「読んだよ」とひと言だけ書いてくれると、小瓶主さんはすごくうれしいと思います。
もちろん、お返事は強制ではありませんので、宛メを利用している皆さんが自分のペースで、自分が一番楽な方法で利用してもられば良いと思います。
※サポーターの告知ありがとうございます!
烏羽
そうだなあ。
俺もどっちかっていうとお返事する側だから、小瓶に宛てたような人ではないかもしれない。
そんな立場からの話になるけど、迷って踏み出せないのも悪くはないと思う。
結局は、多分、自分自身の思いをどう表現するか、伝えようとするか、だと思うかな。
ただ、相手が本当に喜ぶのか?というのもそうだが、相手側が受け取る、相手側の解釈の仕方、相手側の気持ちというものもある。
全てが上手く噛み合うかどうかなんて解らないし、努力はすれども本当に常々自分自身が、それに適った、納得出来るような返事を書き出せているか?というのも疑念がある。
それで疑念について対処しようとしても、どうしようもない時はあるにはある。
迷う事があるにしろ、それ込みで人と人とのコミュニケーションを、人それぞれのやり方で学ぼうとすればいいと思う。
別に相手が嬉しかろうが、悲しかろうが、自分なりに重要だと思った事は伝えようともするが、そうはいってもイザコザは起こしたくもない、傷付けたくもない。
俺も踏み止まる事はしょっちゅうあるな。
返事は、それぞれが思った、出来そうな時でいいんじゃないかな。
別に誰彼が自分の返事を求める訳でもないと思うし、求められたいとも特に思わないし。
自分が嬉しいと思う事が、もしかしたら人にとっても嬉しい事、という偶然もあるかもしれない。
でも、それは出してみるまでわからない。
自分自身が気にする事も相手は然程気にしないかもしれないし、やっぱり気にしてしまうかもしれない。
気にしそうだな、この表現は変だとか、ちょっと嫌だな、そう思った所を直そうとする事も大事な1つかと思うけど、それが上手くいかなかったりする事もある。
自分が書こうと思ったなら…、その先の、ある程度の責任は取れるかもしれないけれど、返事をされた側の人が受け取って傷付いただけで終わってしまう事もあるんだろうと思い馳せれば、とても辛い。
だが、困った事に、コミュニケーションを取ろうとしなければ、人それぞれ違うんだ、という事の実感を持った対応の仕方も俺には学ぶ事が難しい。
恨まれるような事があれば、いっそ恨んでもらった方が気が楽なんだが…、欲を言えばそれより少しでも気を楽に生きられるように、悲しみ苦しみが和らいで欲しいと思う。
ただ、どうしてもショックだった事とかは意識しがちというか、それ前提で物事を見やすくなってしまう時もあるかもしれない。
踏み出せない時は無理にしようとするもんでもないかもしれんと思ってるが、前提を大きく見過ぎるというか、重要視しすぎて動けないというのも困っちゃうんだよな。
相手がどうしたら嬉しいと思ってくれるか、それも大事な事。
俺なら、多分、なんかしらその人の中で為になるような事というか、そのちょっとしたきっかけでも、見つけられればなーと思って書く事が多いかな、今考えてみると。
それが俺にとって大事だと思ってきた事かもしれない。
宛メも現実の一部だとはいえ、宛メと現実は違うけれども、どうしても気軽に返事を書く気でいられないんだよな…。
人の事、人の人生ともなって来ると思うと。
かといって、悪く言ってしまっても、勝手に人の事に口突っ込んで良い悪いも、返事するもしないもなかなか判断出来る事でもなくて。
自分が言いたい、書きたい、それも大事なことではあるんだけど、それで相手がどう思うかを蔑ろにしてしまっても困るし。
まだ納得いくような答えも出せてないけど、何か言えそうな事があるなら、言葉に出来るか出来ないかもという思いも込みで、書いてみようとしてます。
気にし過ぎとも思うけれど、結果として起こる悪い意味でのすれ違いが絶対にないとは、口が裂けても言えないし…。
とにかく、その時その時、出来そうな事からやろうとする、それでいいんだと思ってます。
…うん、俺が書いた事を読み返してみると、気持ちが余計にもやっとして、流れないような…(苦笑)
まあ、少し便秘気味だったという事で、俺も気持ちを流したかったり。
…いや、宛メはトイレなんかじゃねーからな!
そんな事言おうとしてねーからなあ!!
ちいさな小瓶
お返事に対する考え方、なんだかよくわかりました。私も、うーんと考えこんだ小瓶ほどお返事ができなかったり。結局、漠然としたひとことしか届けられない。ほとんど、読んだよーって伝えたいがため だけのお返事になってしまうのです。よく練られたお返事が届くと、ああこんなふうに消化して、救いになりたいとおもうのですが。
けれど、お返事がこなくても大丈夫、どこかで誰かが一緒に考えてくれていること、拾った一瞬だけでも声を聴いてもらえていることを、こんなにも信じられる。私は此処の、そんなところがすきです。
月ゆさんの小瓶を借りてしまいましたが(あ、いつも読ませて頂いております)…これからもお世話になります。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。