世の中は不思議なもので苦労や不幸を乗り越えた人には優しいのに
苦労や不幸の最中にいる人、苦労や不幸に押しつぶされた人には驚くほど冷たい
苦労や不幸なんてそもそも目には見えないものだけれど、立派に強く生きている人は賞賛される
じゃあ、キャパシティを超えてしまった人は?助けもなく一人で必死に耐えて崩れた人は?
たいがい「弱い、だらしない奴」と言われるような状態になる
当たり前だけど目に見える部分でしか判断しないからね
普通の人ができることをできなくなった時点で世の中は冷たい
当たり前だよね
だからやっぱり自分だけが自分の味方
他人に助けてもらおうなんてナンセンス
名前のない小瓶
49707通目の宛名のないメール
小瓶主の返事あり
お返事が届いています
ななしさん
(小瓶主)
皆さんありがとうございます
こんなにたくさんのお返事をいただけて嬉しいです
皆さんのお返事を読ませていただき私自身も考える機会となりました
僭越ですが、皆さんにとっても異なる意見を分かちあえる刺激的な場となっていたのではないかと感じています
叱咤激励の言葉、寄り添いの言葉、すべてしかと受け取りました
ここで1つ私も一石を投じたいと思いますので、長文になりますがもしよろしければお読みください
私自身困ったとき、辛いときに助けられたことは沢山あります。それこそ「助けて」と言ったわけでもないのに、です。
私が人望があるということには繋がりませんが、人の温かみに触れる機会はありました
それでもこのような小瓶を流すにいたったわけは、やはり私が
人は孤独だ
という根強い信念に基づいて生きているからです
理解しあえない孤独と言い換えますが
人は他人の悩みや痛みを芯のところで理解することはできません
他人に話したところで理解してもらえないことは珍しくない
例えば、私は同性愛者ですが、自覚した当初は誰にも相談できませんでした
当時はまだまだ同性愛に厳しく、タイムリーなことに「同性愛は気持ち悪い」とクラスの子達が話しているのを聞いて、疎外感にも苛まれました
不快に思われたら申し訳ありません
今はそのようなこともなく、仲間もいます
ただ、そこまでいくには決してひとっ飛びではありませんでした
同性愛に限ったことではありませんが
マイノリティに属していることで社会の偏見をひしひしと感じることはあると思います
例え話でしたが、これは人に話せない悩み、として分類できます
人に話せない悩み、苦痛を抱えている方は少なくないのではないかと思います
そのような悩みは、人に言えない限り助けを得ることは難しいでしょう
言って心ない言葉をかけられたらさらに話せなくなってしまうかもしれません
また、人に迷惑をかけたくないがために辛いことを人に見せられない人もいます
こういった方は大概我慢強く善良です
周りがその人を助けたくても全く見せてくれないのなら助けられない
例えば、そういう方が我慢に我慢を重ね鬱などになってしまったら、周りが何かしてあげられるかと言ったらそれもまた難しい
まず、本人も隠すかもしれない
人と関係を築けないことで悩み苦しむ人もいます。
人間不信で誰も信用できないような孤独な苦しみを抱えた人です。
心を閉ざしている臆病者と言うのは簡単ですが、本人の葛藤、苦悩は想像するに難くない
傷ついた経験が多ければ多いほど人は臆病になってしまう
彼らは困ったときも1人でなんとかしようとするでしょう
他にも
強すぎる感受性ゆえの苦しみ
頭がよすぎるゆえの孤独
愛情を得られなかったゆえの愛情飢餓感
様々な苦悩がたくさんあります
本人の問題、そして助けてもらえるかどうか、のみに焦点を当ててきましたが
何で苦しんでいるか、どれだけ苦しんでいるか、は他人にはわかりません
本人が助けを求められないタイプならなおさらです
すべて目に見えないものです
もちろん
誰もが悩みを抱えていることも
不幸や苦労から這い上がり幸せになった人はたくさんいることも
人望がある人を人が味方することも
すべて正しいです
でも、それでもやはり、苦労や不幸はその人にしか理解できないものです
理解されないことを世の中は冷たいことと同意義にするのは早計ではありますが、本人の感じる痛みとしては、似たようなものではないかと思います
もっと言ってしまえば
人が離れていくような人にすら
やはりその人にしかわからない苦痛があるのかもしれない
そうならざるを得ない理由があるのかもしれない
本人はどうしようもできない中さまよい、周囲からも距離を置かれ、助けも求められず孤独になっているのかもしれない
そうではなく、優しさを利用されたり、何も悪くないのに助けてもらえない場合もたくさんあると思います
だから私は
自分の味方でいれるのは自分だけだと思っています
もし誰かが悩んでいるなら助けてやれれば何よりですが
きっとすべては理解できない
意図せず傷つけてしまうこともあるかもしれない
ただ、自分次第の部分もあるのでしょうね
何もかも
欲しいものは自分の手で勇気を出して取りにいかないと手に入らない
それも事実なんでしょう
まとまりがなくて申し訳ありません
以上になります
ここまで読んでくださった方、お返事くださった方本当にありがとうございました
烏羽
小瓶主さんの話から逸れるようでちょっと悪いんだけど、一通目さんのお返事を側から見ていて思った事を。
あんまり外野が口出すのも野暮だとも思っちゃうんだけどねー。
理不尽で解せない事って、あるよ。
他の友達に助けを求めたとしても、自分の何が悪いわけでなくとも、誰も助けてくれない、誰かが守ってくれる訳ではない事もあるにはあったし、受験で落ちたような人を馬鹿にするような人や、悪い状況下で、支えてくれてきた人が手のひらを返すような、泣きっ面に蜂のような状況もあるにはある。
一通(5通目)さんがそんなはずないと思うような状況、そういう気持ちを味わう事も俺は経験してきた。あるいはそういう事を意図せずともやってきたかもしれない。
宛メやネットを見ていてもそういう状況もあるように思う。
それらが人望と必ず関わりがあるかと言えば別だと俺は思う。
自業自得だと言えるような場合もあるだろうし、それとは全く関係なく、例えば受験で不合格だった中で、相手が状況を飲み込めずパニックを起こしてしまう事もあるんじゃないか。
今まで支えてきたのはあくまで我が身の為だけで、思いやりがないような時もあるんじゃないか。
そして辛くて余裕がなくて、助けを求めようと考えられない時だって、子供かどうかに関わらずあるんじゃないかと思う。
こう言ってしまうとどこから目線なんだって気もするが、一通目さんのいう弱い人でも、弱い人なりに築きあげようとしている人たちの努力はあるかもしれず、それを感じる人には、それなりの苦悩が見える事もあるだろう。
んまあ、多分そういう話じゃなくて、言葉に自分の経験してきた中から、引っかかりを感じて感情が波立つような時もあるかもしれない。
どっちの伝え方がいいも悪いもないと思うし、どっちにもその人が培ってきた一理はあるんじゃないかとも思うけどさ、その中で、相手を下に見るような、いわゆるディスるだとかの言い方になってしまうと、余計に伝わり方がこじれる事もあるんじゃないかな。
それでもさ、否定される事が強く響く事もあるだろうけれど、相手を否定したいが為にしたお返事ではないんじゃないかと思う。
ななしさん
他人に興味無い人は大抵は一人でもやり過ごしていける。そういう人ってのは人望さえ特段必要とはしていない。人望なんてもんはあるに越したことは無いが無くても上手く行くなら無くたって構わないようなものでもある。
他人をどれだけ助けてきたかによって人望云々に関わるんだろうけど私は人を助けてきたわりには恩をアダで返されてきたから、もうむやみに手助けするのを辞めた。今更何も望むものも無いし助けたい相手もいないから。もう疲れた。
ななしさん
横ですが4通目さんへ。1通目です。
理不尽で解せないことって、具体的にはどんなことでしょう。
自分から助けを求められないのはほんの子供の頃のみ。学校に行けば仲間は作れるし、学校がうまくいかなくてもフリースクールで頑張る子もいるでしょう。いじめも一部にハブられても、他の友達が守って助けてくれたりします。それはいじめられかけた私の経験です。
他人の力をもらってもどうにもならないこと、確かにあります。受験なんかはそうですね。自分なりに最大限頑張っても、不合格なことはある。でも、頑張るその人をずっと支えてきた家族や仲間は、落ちた本人を馬鹿にしたり冷たくしたりしますか?そんなはずないですね、慰めたり励ましたりするはずです。そして本人も浪人したり第二志望に入ったりしてもう1度頑張ろうとする。そういう人は「世の中は苦労や不幸の渦中にある人には冷たい」という気持ちは起きないでしょう。
もし、「世の中はそんな強い人ばかりじゃない」「誰でもそういう事が出来るわけじゃない」と言うなら、世の中は強い人と弱い人がいるということになります。そしてそれなら弱い人が弱い者扱いされるのは当たり前ということになるわけです。しかし私は今弱い人でも明日から強くなれることはできると思ってるので、「弱いと言われっぱなしになるな」「支え合える仲間を作って一緒に強くなれ」と言いたいです。
どんな不幸からでも、支えられて立ち直って幸せをつかむ人は、世の中にも宛メにもたくさんいます。そういう可能性がいくらでもあるのに「人生いろいろあるし、やむをえない事情もあるから仕方ない。人それぞれだ」という思考こそ、単純で短絡的に見えます。
ななしさん
すでに一度、お返事の小瓶を流した者だけど、一通目のお返事を見て少し思ったことがある
助けを求められないとか、助けを求めても助けてもらえないとか、
あるいは助けて貰っても他人の力じゃどうにもならなくてキャパを飛び越えるとか、
そういう状況って、本人の人望とか自業自得論で済ませられるような単純なものばかりじゃないと思うなぁ。
なんというか、短絡的な考え方だと思った。
そんな単純なものばかりじゃなく、もっと理不尽で解せないようなこと、たくさんあると思うのだけど…
ななしさん
弱い、だらしない、なんて私は思わないよ。
だって、一人でだって頑張ってきたんでしょ?
だったら、そんなこと思わない。
主さんを見てきた人が周りにいたら、同じように頑張ってたって認めてくれるはず。それが1通目さんの引用になってしまうのだけど、人望とかに繋がるのでは?と個人的に解釈しました。
でも、もし、周りにそんな人がいなかったら、その時は自分で自分を認めてあげるしかないと思います。
そもそも、自分が認めてあげないと前に進めない気がするんです。
ななしさん
自分には見えない、分からないということを、
存在しない、本人の甘えだと解釈する方がおかしいと思う
自分には分からない、理解できない事があると認めたくないのかなと思う
ななしさん
苦労や不幸を1人だけで乗り越えられる人は、そうはいないんじゃないかと思います。
家族と不仲でも友達に助けてもらったり、上司とうまくいかなくても部下が支えてくれたり、誰かしらに助けてもらって、乗り越えているんじゃないかと。
助けがもらえなかった人ってどういう人でしょうか。
辛いことがあっても誰からも慰められず支援してもらえない人はなぜでしょうか。
逆に考えてみましょう。
あなたの周りで誰かが困っていたとして、あなたが自分のお金や時間を使って精一杯助けてあげたいと思うAさんと、そうは思わないBさんがいますよね。
その2人には、どんな違いがありますか?
そこが人望の差なんだと、私は思います。
苦しい時こそ、本当の人望がわかります。
中学生の時、わがままで典型的なジャイアンタイプだったクラスメイトの父親がバイク事故で重体になった時、クラスの誰も彼に慰めの言葉をかけませんでした。遠巻きにして見ているだけでした。
いくら諌めても夜遊びしていた女子が性病にかかったと泣いた時、「だからやめろって言ったのに」という怒りしかわきませんでした。
誰が何を話しかけてもだんまり、挨拶すら返してくれない人見知り過ぎる女子は、修学旅行でどこのグループにも入れずにいる時も、もう誰からも声をかけられませんでした。
人は普段から見られているものです。普段からこつこつ積み上げてきたコミュニケーションや信頼が、いざ自分が困った時に返ってきます。いつも疑心暗鬼で心を閉ざしてばかり、傷つくのが嫌で流されてばかり、見せかけだけ仲良くして裏で悪口言い合ってばかり、そんな薄っぺらい関係だけで、何も積み上げていない人には何も返ってきません。
苦労や不幸を乗り越えた人への称賛というのは、「困難な時は見て見ぬふりをされてしまうことも多いのに、この人には助けてくれる協力者がいたんだ。普段から慕われていたのだな」という人望も込みでの称賛だと思います。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。