機械音痴の家族に代わって、SIMフリー端末を導入したのは私だった
機械いじりは好きだったし、高校から情報を主に勉強していたから異論はなかった
家族の台数分を全て(キャリアに比べて過不足なく)使えるようにすることと、通信回線の契約をセットアップするのは面倒だったけど、それ以上にメリットがあるのも分かっていたから本当に異論はなかった
父が「(キャリア契約時に比べて1.5万円ほど安くなっているから)出費が減って助かっている」と言ってくれたとき、私は本当に嬉しかった、報われた気がしたのだ
だけど、母から言わせると「全部(私に)監視されているようで気持ち悪い」「LINEも何もかも(私が)潰している」のだと
なら、困ったことが起きた時に、いの一番に私に頼ることを止めてほしい
いつもいつも猫なで声で「ねぇ、困ったから助けて~♡」とか言っていたのにどの口でほざくか
面倒なことを全て私に押し付けておいて、自分はスマホやPCを楽しく使っておいて、「気持ち悪い」とは何事だ
たしかに、キャリアメールが使えなくなるからフリーメールを取得した、でもそのパスワードは『私が見ていないときに変えるように』と幾度となく念押しした、変更する直前まで私が隣について教えていたのに
初期パスこそ知っているが、ちゃんと変更できているなら母が言うところの『監視』も何もないと口を酸っぱくして説明したのに通じてはいなかったのだと知って愕然とした
母が「監視されているから気持ち悪い」というからGoogle認証まで噛ませたのに、結局私のことは何一つ信じては貰えなかったのだろう
思えば、母の印刷物を刷るために、私は自腹でインクジェットを買いに走ったのだった
急ぎでなかったならもう少し安くできたのに、この件でも母は私に相談してはくれなかった
その印刷物も結局は私に作成を押し付けたくせに
音楽のテストプリントをデータ化するのも印刷するのも私では割に合わない
母の言う『監視』には、私が自分でhomeネットワークを引っ張り込んだことも入っているのだと思う
何某かのテレビで『自分の端末が属している回線の中身はプロテクトを掛けていなければ丸見え』という内容を扱っていた時、しきりと気にしていたようだから
私はそれを横目で見ながら『この番組アホなの?共有設定を外した上で外部からのアクセス遮断で解決するのに』と思っていた覚えがある
まぁ、見られないことはないけど、如何せん面倒くさいのだ頼まれてもやりたくないというのが本音である
家電量販店の出している設定プランは7800円だったか、看板を見た時は思わず鼻で笑いそうになった
しかし『買ったんだから設定までやってよね!』とかいう恐ろしい客もいるそうだ、怖い世の中だ
そういえばルーターも自腹で買ったのだったな、いっそのこと母親の使う端末だけプリセット情報を消してしまおうか
スマホの使い方を説明しても、『やらないでくれ』と釘を刺したことを、真っ先にやってのけたのは他ならぬ母親だった
案の定詐欺サイト踏んで猫撫で声のパターンはもう見飽きた耳に胼胝ができる
正直に書くと、『あるサイトを見てたらいきなり「このスマホは壊れています」なんて表示が出たの!お母さんは何も触ってないのに!』なんて宣うから、私は笑いを堪えるのに精一杯だった
何もしてないのにそんなダイアログが出る訳ないでしょと、某エンジン故障コピペを思い出していたのである
話は戻るが、 私 が 払ったものを使ってほぼほぼ一日中ネットサーフィンをしているのだ、文句を言う資格なぞなかろう
その間に家事を片付けているのが誰だと思っている、怒りが脱線してしまうほどに母親の『スマホの使い方』は目に余る
実力行使してしまいたいのは山々だが、それをすれば父に怒られるのは私か・・・いっそどこにも逃げ場はないらしい
直訴して父から母へ注意が入っても、ずっと言い続けても改善の余地は見られなかった
憔悴する父親をこれ以上は見ていられなかった、泣き寝入りだとは分かっていても母親には何も通じないのである
子どもよりも餓鬼という性質はどこから湧いてくるのだろうか
母親はもう死ぬまでああだろう、父も諦めていると溢していた、なら私は自分の気持ちを潰してでも父を支えなければ
私がITを勉強し始めたのは、キャリア契約時に母親の使用過多で巨額の請求を受けたからだ
父は仕事に忙殺されていたから、私は独学で本を捲ることになった
小学校時はローマ字もまともに覚えられなかったのに、思えば遠くに来たものだ
Windows95のキーボードをおっかなびっくり触っていた子供は、今ではそれを自由に使いこなして脱キャリアまで漕ぎつけて不自由をなくした
SIMフリー端末が故障したときは大変だったが、まぁどうにかした
表だって父が褒めてくれることは数えるほどだったけど、詳しい人が周りにおらずとも試行錯誤しながら勉強したことは無駄ではなかったのだと確信している
多くの人は、私ができるようになったことは普通にこなせるのだと思う
この文章もなんと仰々しいと呆れるかもしれない
でも、誰の力も借りずに一人で出来たからこそ、私はそれに自信を持って良いと考えている
だから、その自負さえ残っているなら、母の言葉に傷付く余裕などないはずだと、私はそう思いたいのである