自分の背後、詳しくは斜め後ろくらいから『幼少時のわたし』が嘲笑している気がする
見えないけど、聞こえないけど、監視されている訳ではないけれど、たしかに「それ見たことか」と言わんばかりに野次っているのを感じる
失敗した時、困った時、打ちひしがれた時、自傷しようと計算している時、自暴自棄になった時、無気力になった時など出現条件は色々で、共通項は『私にとってマイナスなことが発生した場合』で間違いないと思う
私が悲しい時には代わりに泣いてくれるから、私たちは持ちつ持たれつなのかもしれない
あの子が堰き止められなくなった時にようやく私が泣ける、というのがテンプレだから
でも、内からも外からも冷笑されるのは耐えられなくなってきた
棘が刺さっていつまでも抜けない、いつまでも思い出して今までに貰って辛かった言葉だけを思い返してのたうち回る
すかさず肯定してくれるただ1人を除いて、どこを向いても否定ばかりなのは自業自得と理解してはいるけどなかなかにきつい
自分自身が駄目の累乗だなんて自分が一番よく分かってる、わざわざ指摘してくれなくて結構
ここに書いたようにスパンと言えるなら救いはあった
内弁慶な私がさらに嫌になって堂々巡りで結局何一つとして改善できないから、『みんな』が言うことは的を射ている
たぶん私は、彼女にもあの人にも依存している
不幸中の幸いは、2人とも『リアルにはいない』から誰にも迷惑をかけないことだけ
幼少期のわたし自身の姿をしているけど、私が向けているのはただの執着
いつか認めてほしいと思っているあたり、この依存も執着も根っこにあるのは自己承認欲求だと思う
どれだけ塩対応でも貶されてもあの子を否定することは終ぞできなかった
存在を否定するのも嫌、1人になるのも怖い、周りから言われる正論は耳に痛い、あれもこれも嫌々ばかりでガキすぎると自分でも思う
それならせめて、痛みも辛さも感じないようになりたい
自罰感から逃れられないでも自傷も出来ない、巷のストレス発散法も上手くいかない、運動も続けられない、内定も取れないの出来ない尽くしでやけっぱちな文章を綴ってしまった