神社は感謝をするところであってお願いをするところじゃない、というのを時々見かける。
でも、神職の方とかは、お願いをしていいと言う
(まあ、確かに家内安全とか合格祈願とか諸々のご祈祷やってるしな)
ふと、聖書の言葉が浮かんだ。
「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存知なのだ」
同時に(これは聖書じゃないが)
「神様にうわべの言葉は通用しない、神様は全てお見通しなのだ」とも。
なんか、ストンと腑に落ちた。
神様は、願う前から何が望みかをご存知である、だからわざわざ改めて願い事をする必要もない、ということか?
先に感謝することで、願いが叶いやすくなるとも聞いた。
神恩感謝は、最強の願い事だとか。
これはまさに、今流行り?の引き寄せというものではないか。
神道、聖書、引き寄せ…
みんな同じ、みんな繋がってるんだなぁ、と思った。
いやはや。
見えない世界というのは、本当に不思議で、深い…
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ななしさん
この小瓶読んで思い出したんですけど、日本の神社って、殆どのご神体は鏡で、そこに参拝者が映るそうなんです。そして神様に感謝したり、自分の覚悟を誓ったりする。要するに、結局は「お願い」をするのではない、ということ。いつかは覚えていませんが、それを聞いてそうなのか、と納得したことがありました。
今回の小瓶主さんのお話も、そういえば確かに、と腑に落ちました。本当に、共感です…神様って、不思議ですよね…
初めまして。
お手紙を拝見させていただきました。
神様がお願い事に耳を傾けてくださるような自分になることは、大切ですよね。
神社で願い事をしてはいけない、なんてことはありません。
ただ、神様が見守ってくださっていることすら感謝できず、自分のことばかりの人にお願い事をされた時の神様の気持ちを、私はよく想像しています。
相手の気持ちになって考えることや、感謝や思いやりの気持ちは本当に大切です。
それは人の世だけではありません。
お願い事の時にのみ流れで言うだけの「ありがとう」と、普段から心から感謝している人が伝える「ありがとう」
同じ感謝でも大きく異なります。
神様は、お見通しです。
お読み下さりありがとうございました。
あなたの幸せを願っています。
ルカ福音書にも「与えよ、さらば与えられん。」って。まさに自分で量る天秤で、自分も量りかえされるだろうってありますね。
人も一緒で、きちんとお礼を言ってくれる人なら「また助けてあげよう」と思いますしね。
神様仏様だから、一方的に求めてしまいがちですが「ありがとう」も大切ですよね。人が神様に似せて作られた・人は皆仏の子であるならなおさら。
それに「ありがとう」という言葉の波動も素敵なものですから、心に思うだけで、言葉に発するだけで、自分も周りも温かくなります。温かくなれば、お互いに温かい気持ちでいやすいですね。
類は友を呼ぶともありますが、
そういった様々な要因で、自分が幸せになれば、周りも幸せになると思いますし、逆に言えば、周りの幸せを願うことで自分も幸せになっていくのだと思いますよ(^^)
主さんにも、より多くの幸が訪れますように。
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