愛知に住んでる者です。
似たような手紙が多いかもしれませんが、どなたか一緒に死にませんか?
小学生から思っていた事ですが、小さい頃はいじめ等の理由や虐待などで、“辛い” と いう理由で死にたかったです。
今は、辛いを通り越して、本当に、只本当に死にたいのです。
どれだけ楽しい事しても、友人と出掛けても、楽しいと口にしても、笑っても、必ず “死にたい” と思うようになりました。
何故生きなければならないのか?
其処まで生きる事は重要なのかと、思います。
傷ついて、でも逃げる事は許されなくて、弱音を吐いても結局立ち向かわなければ、ならないなんて、苦しくて耐えられません。
死ねたらどれだけ楽だろう。
何も思わず考えず、感じぜずにいられるのはとても気が楽になります。
ですが、最後まで一人なのは何処か悲しいと思ってしまいます。
大変身勝手ですが、ご一緒して下さる方は居ないでしょうか?
ななしさん
子どもの頃の記憶が消えず、
今でもほぼ毎日涙が出てきます。
社会は無責任で残酷です。
ただただ、何事もないように隠して、完璧に生きることだけを要求します。
私も、生きていくよりも死んだ方が楽だとずっと思っていました。実際、全て終わらした方が楽だったと思います。
子どもの頃の私にとって、死ぬことは希望でした。
小瓶主さんは、このような社会の中で、よく今日まで生きてきたと思います。
誰も助けてくれない、気持ちを分かってくれる人のいない、自分で立ち向かうしかない孤独で寂しい社会の中で、本当に頑張って来られたと思います。
小瓶主さんにとって、この社会はとてもつらいものだったと思います。このような社会の中で今日まで生きてこられたこと、大変ご立派です。
お大事に。