被害者叩きをするのは、公正世界仮説っていう心理に基づいてるんだって。
自分が安全だと信じてるはずの世界でひどいことが起こると、この世界を信じられなくなってしまうから、お互い悪かったと思うことで心理的なバランスをとって世界に対する不信感を感じないようにしたい。それで被害者まで叩いたりする。
いじめはされる側にも原因があるとか、努力すれば報われるとかも、この世界が公正であることを信じたいからそう思うんだそう。
そうすれば自分は前向きに希望を持って生きることができるから。悪いことをすればバチが当たる世の中であってほしいから。
でも実際はそんなことはない。悪いことをした本人はなんのお咎めもなく、被害者は延々苦しんだりすることだってある。因果応報なんてない。
平和ボケって言われるのもこういうことなんだろうな。実際に自分がどうしようもない理不尽の被害に遭ったときはじめて、あれ?私悪くないじゃんって気付くんだ。
この世界にそんな公正さなんてないよ。
名前のない小瓶
55240通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
家庭環境だの容姿だの性格だの性別だの障害の有無。
はじめから公平ではありません。
あなたも含めひとりひとり違います。
悲しいですが、理不尽という言葉はなくなりません。
明らかに悪意があるのに法で裁かれない人や社会的制裁を受けない人などはいます。
すべてをどうにかすることはできませんが、あなたの様に優しい気持ちの持ち主は、まわりの方のお話を聞き気持ちを和らげることができるのではないでしょうか。
世の中を批判するより、人の気持ちを思いやる人が増えればいいですね。
私も頑張ります。
烏羽
一通目さんとはちょっと違う考えかとは思うけど、俺も加害者にも被害者にも非がある、場合はある、と思います。
いじめの加害者となった子がいじめの標的になる、というケースも無いわけではないので。
どちらに非があるか、というのは、「何に非があるか」「何を悪いとするのか」という価値観に基づくだろうなので、立場による視点、各々が持つ価値観によって変わってくるかと思います。
なので、正確には、誰かが、悪い、非がある、と思ってしまう要素を、誰もが持っている可能性があるのではないかと考えています。
小瓶主さんの仰るよう、様々な価値観の尺度から、まったく非がないと思われるにも関わらず、いじめの標的にされてしまうケースもあるかと思います。
また、場合によっては小瓶の内容のように、公正であると信じたい、自分の価値観を守ろうとする事で、半ば衝動的に被害者側に非を被せてしまい、最悪それがいじめの発端となる事もあるかと思われます。
自分によく経験があるのですが、なんかしらショックな事だったり、ムカつくような事だったりを感じると、凄く保守的になりやすいんですよね。
なんていうのか、恥ずかしながら、本能的に、それこそ客観性のようなものを自動的に排除して、自分の都合のいいように筋道を立ててしまって、後々よく思い返してみると、なんでこんな事を言ってしまっていたんだろうとか、思っていたんだろうという事が結構ありまして。
そういう面もあり、人との差異を感じたり、違う事への理解が及ばない場合に、それを感じた当人が、意図せず誤解を招いたり、あるいは軽い気持ちで貶す等により人を傷付けてしまう行動に移る事もあるのではないか、と。
多分、個人の違いもあるでしょうからなんとも言い難いですが、これに似たような事が小瓶の内容のような事態を起こしてしまうのかな、と思いました。
あと、NNNなどのドキュメンタリー番組を見て、色々思う事があったのですが、いじめを受けて苦しんでいる方の悩みとして、「自分にも非があったのではないか」という思いの、葛藤があるようでした。
あくまで個人の偏ったものではありますが、自分の経験から鑑みるに、これは「自分の責任はどこからどこまでを問えるのか」という価値観の違いからくるものなのかもしれません。
また、思い返せば多くの事柄が出ても来ますが、ああしていればこうはならなかったんじゃないか、こうしていれば避けられた状況だったんじゃないか、との考えが、いつのまにか自分を責め立てているような事もありました。
これももしかすると、方向は違っても、ある種の公正世界仮説の心理と似たものなのではないかと、個人的には感じます。
そのため、「公正」という宗教やそれに基づく法律の在り方などが、必ずしも関わっているものではないんじゃないかと思ったりもしました。
もともとは、多分、不公平な世の中だからこそ、公平であって欲しいと誰かが願い、その公平に基づき、公正さ、というものが生まれてきたものかと推測します。
安全とは何か、というと、国が守ってくれている、条件付きで保障してくれているものも含まれるかとは思いますが、その国の保障を担っているのはご存知の通り一人一人の人間であり、また社会の中の一人一人が平和でありたい、安全を守ろう、という意思によってなりたっていると思われます。
しかし、また、安全という価値観は自分達の中に、他者の中にもあるものでもありますから、それらが両立し、調和するとはどういう事なのかを改めて考えてみたいな、と思いました。
ななしさん
(小瓶主)
いえ、だから言いたいことは伝わっています。それでも私はあなたと違う考え方を取りますよ。
自分がちゃんとしていればいじめられることはない って考え方こそが過剰な自己責任論であり、この小瓶で言っているような公正世界仮説を信じている人の考え方だと思いますよ。
あなたがそう考えて、自分を律する分にはいい心がけかと思います。でもどうか、もしあなたが傷付いた被害者と出会ったときに「お前も悪い」と共感を欠いたようなことは言わないであげてくださいね。解釈は受け手次第、と最初から自分の言動の善し悪しを相手に投げて好き勝手言うのは、相手のためを装った自己満足に過ぎませんから…。
そう思ってこの小瓶を流した次第です。
ななしさん
一通目の者です。
意味づけを書き換えるのに年は関係あり
ません。
自分はどうなりたいか、自分は何を学ん
だか、が重要なんです。
不可抗力な部分は僕としては周囲に流さ
れて生きている証拠であり、自己責任を
放棄した生き方と考えています。
なんだ根性論かと思われるかも知るませ
んが、出来事の意味づけをきちんとして
いけば、周囲を肯定ではなく迎合してそ
の責任を周囲のせいにする手回しをして
いると取れるからです。
だからといって、いじめっ子を肯定はし
ません。
自分のいにそぐわないからと、自分勝手
に標的を定めて周囲を巻き込んでイジメ
をするからです。
自分の生活に刺激がないのは周囲のせい
にして、自分の積年の在処を周囲になす
りつけるからです。
短い文章なので、強引ですが、僕として
自分を生きていない責任を周囲や環境の
せいだってしているのは同じだといいた
かったのです。
拙文失礼しました。
ななしさん
だよね
その人は悪くなくたって誰かがあいつ気に入らないって言うだけでいじめはあるし。
既にこの世界はおかしいのが普通っていうのに世界だけは自分を裏切らない、みたいな思想になってる人の方が可哀想
ななしさん
(小瓶主)
うーん?言いたいことはわかりました。でもいじめに関してはどっちも悪い、ってことはないと思います。悪いのは圧倒的に手を出した方ではないですか?いじめなきゃいじめられる人は生まれないわけですし。落ち度があるからいじめられても仕方ないってもんじゃないでしょう。そもそも落ち度に関係なくいじめっ子の標的は誰でもいいわけで。殴られ物を隠され死ね死ね言われて、うんうんしょうがない、ってなりますかね。子供なら思考を変える以前に傷付いて終わりでしょう。
まあ大人になってから解釈を変えることはできますが…ってことを1通目さんは伝えたかったんですよね、たぶん。でも不可抗力で傷付けられて、傷口が塞ぎ切らないうちにお前も悪いなんて言われても、うるせー!他人事だな!としか思えないですよ。そういう過剰な自己責任社会が嫌だなと思っただけです。
ななしさん
異論を展開します。
いじめられっ子は最初の段階が
不可抗力であり、意味づけや
言葉遣いを間違えるから、自分
の思ったとおりにいじめられる
だけなので、いじめを放置した
被害者もいじめっ子に恐喝罪や
脅迫罪、加害致傷や致死を押し
つける加害者です。
いじめられっ子でもね、自分の
落ち度気付いて意味を書き換え、
言葉遣いを、態度をきちんとし
ていれば、いじめは終わるんですよ。
虐められると思い込むから落ち込んで、
落ち込むから面白がられて的にされる
んです。
意味の書き換えや態度、言葉遣いを
いじめられっ子出ないものにするには
そりゃあ勇気が必要かもしれない。
それを乗り越えてこそ、人生が拓ける
のなら、人生を他人任せにしたまま、
自分を無価値だって決めつける当人にも
落ち度があります。
格好いい大人を見るんだよ。
背中で語るオッサンオボサンたちをさ。
自分の人生に責任を持たずに、
こうなったのは周囲や環境のせいだって
責任転嫁してたらキリがないし、人生が
おちぶれていくばかり。
だったら自分で自分を生きていく限り、
人生に責任を持てるから自然と格好いい
オッサンオバサンになるんだよ。
他人は引き出しを開けるだけ。
引き出しから何かを取り出すのは
自分自身。
格好いい大人を見るんだよ。俺も
なるぜと勇気をたすんだよ。
怖いものや不安は決してなくなら
ないけれど乗り越えていくたびに
生ける道しるべになるんだ。
最高の人生じゃない?
責任転嫁はダメ。
これはきほんです。
今を生きようぜ!
自分を生きようぜ!
今ここ一所懸命はカッコ悪く感じら
れるけど格好いいんだ。
おつき開き下さり有難うございます。
乱文失礼しました。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。