一週間くらい前、今までにないほど死にたくなってしまった。
今までは、死にたくなったら好きな物を好きなだけ食べて気を紛らわせて、なんとか持ち直していた。
でも、今回はむしろ、食べれば食べるほど「こんなに死にたいと思っているのに、こんなくだらないことに親のお金を使って、馬鹿じゃないか」と思ってしまって、結局食欲も無くなり、泣きながら詰め込んだ。
それから数日後、実家に帰省した。今までは母親に「つらい、もう生きていたくない」と言って相談に乗ってもらったりしていた。その時はそう言うことに罪悪感が無かった。でも今は家庭の事情もあって、「母親に死にたいなんて言ったら余計な負担をかけるだろうから」と思うようになった。
これが正しいことなのか分からない。心配をかけない意味では正しいかもしれないけど、言わずにいたらまたいつか死にたくなった時、本当に死んでしまうかもしれない。
本当は死にたくないことなんて分かっているし、落ち着いた後にはまだ生きていたいと感じる。だけど死にたいと思っている時は常に高い建物を探し、縄をかけられる場所を探している。自分がいつか、本当に死ぬのかもしれないと思うと、不安でたまらない。
20歳の誕生日プレゼントには時計を買おうね、また一緒にご飯を食べようね、そう言ってくれる母にまた会わないまま、私はいつか死ぬのかもしれない。
ななしさん
(小瓶主)
小瓶主です。お返事をありがとうございます。
お返事を読んで、どうしてこんなに私の心が分かるんだろうと涙が出ました。
直接には書きませんでしたが、ここ数年、自分にお金を使われることが苦しくて苦しくて、死にたいと思う原因の大部分を占めていると言っても過言ではないほどです。きっと、親が同年代に比べて高齢なのもあり、早く返したいのに返せない、お金を使うばかりで何もできない現状に、もどかしさばかり感じるのだと思います。
気にするなと親に言われても納得できず、やはり今も衝動的にいなくなりたいと思ってしまいます。
それでも、あなたが「死んでほしくない」と言ってくれたこと、絶対忘れません。私もあなたが生きていてくれて良かったと思います。
本当にダメだと思った時、今度は周りに頼ることに対しての罪悪感を少なくできそうです。
ななしさん
衝動がきた時、落ち着くまでが大変だと思う。まず、今までなんとか堪えてくれてありがとう。
人が死んでしまう時って、計画的にやることもあるだろうけど、衝動的にやってしまうことのほうが多いんじゃないかな。僕はそうだった。いや、運よく生きてたんだけど。
で、出来れば僕は勝手ながらきみには死んで欲しくないな、と思った。
きみが思う通り、言わずにいるとパンクするよ。かといって母に心配かけたくない気持ちはよくわかる。僕としては外部の人に相談することを勧めたい。心療内科とかカウンセリングとか。
金銭的負担になるかも知れないけど、まあドカ食いするのに使うよりはマシと考えればどうだろう。もしその出費できみが少しでも生きるのが楽になるんなら、おそらくきみの母さんは喜んで出資してくれるんじゃないだろうか。
あと、自分のためにお金を使われることを変に罪悪感持ちすぎないほうがいい。お金はお互い生きてさえいれば返せるからね。大丈夫。まずは、自分の気持ちが少しでも楽になれるほうを優先して欲しい。