子供の自殺が減らないと聞きますけど、たまに自殺理由が話題になる時ってあるじゃないですか。
教師からの叱責が嫌だったとか、テストが悪かったとか。
ああいう自殺に対して、自殺理由の意味がわからないっていう意見はまだ言いたいことはわかるんですけれど。
人間関係が嫌だった。学校にもう行きたくなかった。いじめや虐待などが理由ではない場合のこの自殺理由にさえも異論を唱える人たちの考え方が分かりません。
何もかもつらくて嫌で突発的に死にたかったのかもしれないし、死んだ方がましだから死にたかったのかもしれません。
それらのニュースに対して、攻撃的に意味がわからないなどの意見を出す人がなぜ存在するのでしょうか。
ここからは私の意見になりますけど、
人には常に生きるか死ぬかの選択肢があります。
生きることが辛くなったとき、もし死んでしまったほうが楽なのであれば死んでしまったっていいんじゃない?
そりゃ迷惑はかかるかもしれないけど、自殺した張本人は死にたいときに死ねて幸せでしょう?本望じゃないですか。
みなさんはどう思います?一般的には、これはおかしい思考なのでしょうか。
ななしさん
私は小瓶主さんはおかしくないと思います。
一般的になんて気にしなくても良いと思いますよ。
価値観が違う方の方が多いと思います。
意味が分からないなら分からないで良いと思います。
単に分かって貰える人が反論又は共感するだけなのでは無いかと思います。
死にたい時に死ねて幸せって私はそうだと思います。
どんなに些細な理由でもその人にとっては命を断たなければいけない程の事なのでは無いでしょうか?
それを分かってあげられないのは、他人の価値観を認めないって事では無いかと思います。
そんな私は死ぬ日にちを決めて準備の為に頑張って居ます。
死ねば迷惑を掛けるのは当然だけど、準備をする事で少しでも少なく出来たらと思っています。
ななしさん
もし、死んだ後に自殺した原因が解決したとしたら
「あ〜こんなことで死ななきゃよかった」って思うことすら出来なくなるわけじゃないですか死んだら
攻撃的になってしまう人はそういう可能性を考えて勿体無く感じてるんじゃないでしょうか、大きなお世話だとは思いますが
自分の主観でしか他人のことなんて見れないですし
実際自殺したら様々なところに迷惑がかかります、でも自殺した人はそんな迷惑なんて知る由もないし文句も聞きようがない、じゃあ別に残された人が文句を言うくらいいいんじゃないですか?(全く関係ない人がごちゃごちゃ言うのは違うと思いますが、それでも死んだ人はその文句も聞けないですし)
私はあなたがそういう考えならそういう考えのままでいいと思いますし、自殺に異議を唱える人もいていいと思います