幼少期は母が夜の街で働いてて毎日気が狂ったように叫び泣いてた、「もう死にたい」って言ってたのを覚えてる、自分は幼稚園にもろくに行ってなかった。それでも母が好きだった
母は昼に寝るので一緒に寝た、お腹の上で寝れる位まだ小さかったのでそれが幸せだった。
いつのまにか、大人の男の人が常にいるようになった、後の父となる存在だった(父とは1回も呼んだ事はない)青年期はろくに勉強をしなかった、毎日教室の机で寝て、独りで帰り帰宅すると、兄が母にボコボコにされていた。
兄はスリ癖があった、母のお金で私にゲームなどを度々買ってくれた。悪い事だがちょっぴり嬉しかった、まぁ一緒にボコボコにされたけど
後の父にも一緒にボコボコにされたのはきつかったな、成人男性の力はまじで死を覚悟したし
いつか復讐してやろうと心に秘めていた。
姉は頭の回転が早い人だった、勉強ができて
優秀だった、両親からは期待されていて生徒会の会長的ポジションだった、私と兄と比べて待遇が違ったが、そんなもんなのかと思っていた。後に姉は精神病になった、リストカット
自殺未遂などするようになり問題児三兄弟になってしまった。10代後半になると自然と両親から殴られる事はなくなった。私はというと中学卒業後、高校に行かず毎日家にいる引きこもり、姉は派手な格好で夜な夜な出て行きしばしば帰って来なかった、兄は割と真面目になって
大手に就職したが後に行方不明になった。
原因はなんとなく分かったが両親は最終的には兄をいない物にした未だに生きているのかすら分からない、20代超えてからは姉は落ち着いた
元からの頭の回転の良さで外面はバッチリ、世渡り上手で私はちょっと打算的で苦手だったが
一回り年齢差のある男性と結婚して今も幸せそうだ、姉からは「私達は2人兄弟よ」と言われたが1番側に居てくれたのは兄だったし、両親から私を庇い傷を多く作ったのは兄だったので
納得はいかなかったけど、私も言い返したり動こうとはしなかった。姉と兄が側に居なくなった両親は比較的に穏やかになった。私という問題児を1人残して、16〜19位まで引きこもりだった母はあまり干渉してこなかった、が父はうるさく反発するとすぐ声を荒げた。
私は血の繋がりのない父には凄く嫌悪感があった、過去の事もあっていつか殺してやろうと本気で思っていた。そんな父のいる生活から抜け出せすために社会に出て少しずつお金を貯め
20歳の時には真面目に働いていた。
けど世の中そんな甘くなかった、当時そこそこの大手の工場で期間工をしていた。やりがいもあったがとにかく体力がきつかった、くわえて
上司のパワハラは当たり前で少しのミスで罵声が飛んできて毎日の仕事が極度の緊張だった
特に繁忙期だったのもありベテランの先輩も休憩中は下を向いていた、なんとか励まし合い
当時付き合っていた彼女は凄くいい人で彼女のために頑張っていた。しかしやはり体力の限界だった、仕事が終わった後は直帰してそのままベットに入る生活を繰り返した、休みの日は
彼女を招きテレビを見ているとそのまま一日寝ていた。
その日は夜勤だったので夕方に起き支度をして
いつものロードバイクで坂道を下っていた
かなり眠いなと思ったら車道しかない狭い道だったので車の少し後ろに付いていたら車が急に止まったので自分も減速しようとブレーキを握ったが
握った感覚がかなり緩かった、どうやら管理不足で緩んでいたらしい、そのまま前の車に突っ込みそうになった左側にはガードレールなどはないが学生達が下校していたのでとっさに右に避けてしまった、結果坂を上がってた単車と正面衝突で救急車で運ばれた、目覚めて腕の感覚が鈍いのに気付いて乾いた笑いと涙がでた。
結局切断まではいかなかったけど、麻痺が残ってしまった。そこからは会社は辞め、廃人になって彼女も離れて行き、生きるってなんだろなって考えるようになりました。
そろそろどっかで死のうと考えてます。
名前のない小瓶
55518通目の宛名のないメール
お返事が届いています
シューメー
俺は、まだ学生だから自分で養う辛さとか社会の辛さとか良くわかんないですけど……。
とにかく、命を無駄にするのだけはダメだと思います。俺、過呼吸症候群なって、一週間に3回くらいは過呼吸になるんです。
耳鳴りが来て、2分後くらいには息ができなくなって、死を直前にしたみたいで、すごく怖い。でも、生きてる。
だから、死んだらもっと怖いんだろうなと思う。自分は怖くなくても、たとえ、あなたが廃人でも、やっぱり回りの人は傷つく。
俺にとって、生きるって息を吸って、心臓が動いてて、たとえ何があってもその終わりが来るときまで、幸せにしようって、目的を持つことだと思う。
だから、じふんから幸せをつかむチャンスを捨てちゃダメだ。もう、クッソガァァァって、待てや幸せコラァァァって、捕まえてやってください。
お願いです。
ななしさん
負の連鎖の中で張り詰めていた気力が、事故をきっかけにぷっつりと切れちゃった感じですかね。
せっかく家から離れ、理解者の彼女も出来て。後はそのブラックな仕事さえどうにかなれば…無念ですね。
お体は、日常生活には支障ないくらいまでは回復されたのでしょうか?
あなたと同じようにめちゃくちゃなどす黒い家庭で育ち、今は絶縁して幸せな人を知っています。
逆に、その記憶や、家庭環境で歪んだ自分自身に耐えきれなくて命を絶った人も知っています。遺書も読みました。しょせん、他人には本人の辛さの1%くらいしかわからないものなのだと、痛感しました。
あなたがどちらなのか、私にはわかりません。
ただ、あなたの人生です。自分だけのために選んでもいいのでは。
何を選んでもその先にいるあなたが幸せでありますように。
自閉症スペクトラム障害
あなたの事故による障害がどの程度かわかりませんか、障害者向けの作業所に行きませんか?
家に閉じこもっていると悪いことばかりを考えてしまうものですよ。市の社会福祉課に相談してみましょう!
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。