私が自殺を仄めかすワードを吐くと、『よくも親の前でそんなことが言えたな、不愉快だ』と父は烈火の如く怒り出す
弟が同じことを言っても苦笑しながら窘めるだけなのに、なぜ一方には厳しいのか
私が自傷していると外部経由でバレた時、父は黙したままだった
母は狼狽えたのか、『同情を引きたいから切ったのね』と断じた
糾弾された私は何を言ったのだったか今となっては思い出せない
本当の理由を話さなかったことだけは確かだ
こういった背景があるから余計に敏感になっている、ということなのだろうか
父はすっかり忘れているだろうけど、丑三つ時に小4の娘の枕元に立った父が低い声で『豚○○(私の名前)、馬鹿○○、死ね○○』と吐き続けたことを覚えている
父の足音で立ち去ったことを確信し、時計を確認すると、なんと2時間もたっていなかった
今から思えば、父は私が寝ていなかったことを察していたのかもしれない
布団に潜り込んで泣き声を押し殺して震えていた、永遠だと思えた、私はその出来事が起こるまで心底尊敬していたのだ
血の繋がった親と言えど、長女が気に入らなくて仕方なかったのだろう
翌日、彼は何事もなかったかのように振る舞うものだから、裏があるように思えてとても怖かったのをしっかりと覚えている
そんな父に絆されまいと、繰り返し繰り返し反芻するうちに一字一句忘れられなくなった
自分で自分のトラウマをより強固にしたらしい、成人した今でもふいにその声を思い出して体が冷たくなる
私が死ねば、いつぞやの父の望み通りになる
私が死ねば、母は無意識下で私を疎外せずに済む(母のLINEでは私を省いた家族全員がお気に入り登録されている、然もありなんと思ったものだ)
私が死ねば、妹は『空っぽだ』と評した姉がいなくなって清々するに違いない
私が死ねば、弟は規制なくPCやスマホを使えるようになるから楽しみが増えるかな
親戚は…告げ口しない愚痴の吐き場がなくなったと残念がるだけと思う
ここで、多くの方からお返事を頂いた
親身な助言、フォローの言葉、どれもとても嬉しかった
この歳になるまで他者肯定だけを続けてきた私を看破された時はとても驚いた
力をくれた方々のようになりたいと思ったけれど、努力する前に私は諦めてしまったようだ
個々にお礼できないのが心苦しいけれど、せめてここに感謝の気持ちを綴る
返信を貰って確かに救われた人間もいたのだと証明したい
高校時代に自傷を打ち明けた友人は『生きてくれて嬉しい』と私に言った(友人には何度も救われた、感謝している)けど、没交渉を続ければ私のことを忘れていくだろう
それで良いと思う、繋がっていても毒になりこそすれ実がないからだ
彼女がいつか言ってくれた、『あなたの優しさが嬉しかった』という言葉だけを持って逝くのも悪くない
あの子はこの書き込みを知らないままでいて欲しい、礼すらまともに言えなかった臆病者が関わって良い人ではない
死にたいなら死ねば良い
家族も私もWINーWINだ
昔の私も、続けて今も、こんな考えが透けて見えるから両親は子の扱いに差を付けるのだと思う
大切になどしない、十分に頷ける理由だ
私が死ねば得をする者ばかりだいっそ笑えてくる