今日、ようやくわかった。きっと、ずっと私は恐かったんだと思う。
物心ついた時から仲が悪かった両親。
母からは「お父さんのことは嫌い」「いつしんでもいい。」「世界で一番好きなのは○○(人形の名前)」と言われ続けた。中学の卒業式で私が倒れたときも「自律神経おかしいんじゃない?」別のときには「新しく買った自転車で家を出ていけばいいのに。」「はやく出ていってほしい。」「結婚したのは出産を経験してみたかったから。相手は誰でもよかった。」
父親が借金をしたことが原因で、小学生の頃に両親が離婚し、母に着いていくことになった。これまで大学にも進学させてもらい、お金にも、生活上の家事に追われる必要もなく、なに不自由なく生きてきた。母やきらいな祖母が全てやってくれた。
それでも、母からの愛が感じられず、自分がわからなくかった。
自分は十分に育ててもらっている。そう思うようにした。
けど、家族とは何かを発表しろという場面では、かろうじて「血のつながり」と答えたが、「継父がいるように血だけのつながりだけではない」という別の子の意見を聞いて、「じゃあ私の家族はどうなんだ」とどうしようもなく涙がとまらなくなった。
自分の父親と似た人がいると、どうしても面影を重ねて、自分でも意味がわからないと自己嫌悪した。
小さい子どもと母親を見るとひどくひどく羨ましいと感じるようになった。
母から「大学までみるのは親の義務」という言葉で、私を育てたのは「義務」であって、一般的にいう、子どもに対する愛とか優しさとかではないんだとぼんやりと感じる度に、捨てられることへの恐怖があったように思う。でも、なによりも胸を占めていたのは、「そういうもの。」というあきらめと「傷つくまい。」となにも感じないように考えないようにすることでいっぱいいっぱいだったような気がする。
離婚話が盛り上がってる小学生時代、友達のお母さんに「お母さん!」とよく抱きつきにいってたのは、自分は気づいてなかったけど、寂しかったんだろう。抱きついたときの安心感はすごくあったし、「優しいなあ。こんなお母さんいいなあ。」なんて考えてた気がする。
私が小さいときから、親は不仲で、兄は冷たい。祖母は兄に甘い。
できることなら、両親は仲良く、お互いに笑顔があって、兄とは日常生活の会話を楽しめるくらいの関係でありたかった。祖母は男女平等に扱ってくれる人であってほしかった。
考え出したら、きりがないくらい、あまったるい、吐き気がしそうな夢物語だけど、私はこうであってほしかった。
人が別れる姿なんてみたくなかった。
ひとりで生きていくしかない。男はあてにできない。自分で稼ぐ。なんてこと思わずに、恋愛にもほどほどに興味を持って、人と関わっていきたかった。
今の自分は自己嫌悪とかよくわからない気持ちが悪いものにばかりにまみれてて、いやでいやで仕方ない。
でも、自分は少しは頑張ってこれたんだ。
爪は噛んでしまってガタガタ。だけど、それでも、自分をなんとか今につないでこれたんだ。低レベルなことだけど、これで精一杯なんだ。
背伸びしすぎると、自分の首ばっかり絞めてるからな。どんなマゾなんだ自分は。いまの自分の程度を第三者の視点から考えていく。無理やりに自己評価を下げるな。でも、なにも考えず、自分にはなんでもできると思うな。人に助けを乞え。ほんと両極端だから。
吐き気しかないけど、這いつくばってみることを第一歩にする。
読んでくれてありがとうございました。
なにか思うことあれば小瓶を流してくれると嬉しいです。
ななしさん
人と関わっていきたかった。
同級生のお母さんや、見かける親子連れが羨ましく見えた。
ここ、すごくいいなと思いました。
ちゃんと愛をわかっている、愛を感じ取れる人なんだなと。
不運にも家族に恵まれなかった人は、恵まれている人を見ても別世界の話で自分には縁がないと最初から諦めたり、幸せを欲しがるのが虚しくてわざと自分を粗末に扱って不幸になりたがったり、そんな寂しい思考回路になることが多い。
大人になって働けるようになり、お金や時間が自由になった後も、その回路からなかなか解放されない。それが二世代に渡る虐待や売春、何らかの犯罪に繋がってしまうこともとても多いです。
あなたは、家族からの愛情は乏しかった。一番側にいたであろうお母さんから冷たい言葉を浴びた。
でも、あなたはそれが世界の全てじゃないと知っている。自分の家族の中だけで絶望するのではなく、外にあるまったく違う形の家族像や愛情に視野を広げることが出来る。素晴らしいことです。
他人の幸せを認知出来る人は、きっと自分の幸せも見つけられます。大丈夫ですよ。
温かい居場所を見つけ、愛する人が見つけられて、噛む必要がなくなって爪も綺麗になったら、また宛メを流して下さいね。
未来のあなたが幸せでありますように。