嵐の二宮和也さんに感謝を伝えたい。
私は彼に救われた。
今から6年ほど前のことなんだけど、中学校でかなり酷いいじめを受けてた。例を挙げると自分よりはるかに体格のいい友人に背後からタックルされ交通量の多い車道に投げ出されたり、男子に助走をつけて飛び蹴りされたり。
別の友人には「将来社内イジメに遭って自殺しそう」とからかわれた。
周りの大人に被害を訴えても「あなたの言い方もきついっていうか、いちいちやり返すから反感買うのよ」と取り合ってはもらえなかった。辛い出来事を乗り越えてこそ絆は深まると信じてる担任は、今まで通り友人と仲良くするよう私に強いた。
愛想笑いがすっかり板についた私は、理不尽に罵られても笑顔でいることが出来た。
私に人権はなかったけど、いつしかそれが自分の中で当たり前になった。みんなを喜ばせるためだ。みんなが嬉しいなら私も嬉しい。自分を殺すのは案外簡単だった。
私は当時、なんとなく嵐が気になっててなけなしのお小遣いをはたいてアルバムを買った。そのアルバムに収録されていた、ニノが作詞作曲した曲の歌詞がまるで自分のことを書いたようで深く突き刺さった。
歌詞をそのまま載せるとまずい気がするので、「どこにでもある唄。」で検索してほしい
大丈夫って言葉が自分を消していく?
ずっと泣くのを我慢してたら笑えなくなってた?
息を吸って吐いてただ生きてるだけでいいの?自分の感情がわからなくなるまで頑張らなくていいの?
周りと合わせることを是とし、そのために努力しろと言う周りの大人達とは違ってて、その時初めて生きててよかったと思えた。
私の痛みを的確に表せる人なんて初めて見た。
現在は地元を出て、遠く離れた地で大学生として過ごしてる。成人式にも同窓会にも出ないつもりだ。今は幸運にも周りの人に恵まれて幸せな生活を送っている。まだ傷は癒えてないけれど。
私はいつか自分の人生に自分で幕を下ろそうと思ってた。きっとあのアルバムを買わなければそうしてたと思う。
自分も含めて人間なんて大して良いものじゃない。それでもどこかで自分と同じようにニノも生きているのなら、私も生きようという気になれる。
ニノも嵐のみんなも当時と変わらず第一線を走り続けていることが嬉しくてならない。
私も彼らもずっと健康で幸せに生きられることを願ってやまない。
私の未来を照らしてくれて本当にありがとう。これからもずっと応援しています。
Twitterでこれを書くには重すぎるし拡散されたくはないので、ここに匿名で書き留めておきます。