子供の頃、潮が引いてできた小さな潮溜まりを観察したことがある。
小魚が何匹かいた。
本当に小さな潮溜まりだったからしばらくしたら干上がってしまった。
勿論、小魚は干からびた。
潮が引くにもかかわらず横着して留まったからだぜ、と思った。
まぁ魚からすれば満ち引きなんかわからないからしょうがないことなんだろうけど。
最近よく考える。
今の自分はどうだろう?
世間が潮のごとく変化していくにも関わらず、何となく居心地が良いからろくに努力もせず同じ場所に留まり、言われたとおりに働いたり適当に辞めたりしてる。
ありきたりな話だけど、あの時見ていたのは自分自身だったんじゃないだろうかと思ったりする。
だとすれば、既に潮は引いてしまっていて俺は干からびるのを待つばかりなのか…
そして今度は誰が”横着するからだぜ”と思いながら俺を見るのか。
あの時魚を逃していたらどうだろう?
わからない。
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ななしさん
もし魚を逃がしていたら……
寿命が延びたかもしれない。
でも引き潮を自力で掴めた仲間のところへは戻れるだろうか。
人の手で逃がされた魚として生きて、その後成魚になれたとして、助けた人に似た影を見て感謝のあまり近づいたら忽ち針で釣り上げられてしまうかも。
後悔しても後の祭り。
幸い人間は魚よりほんの少しだけ長生きできる。
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