後悔していることは誰しもある、とよく言われている。
私には、目の前で弟が車にはねられたこと、おじさんの苦しみを察知できずに自殺させてしまったことの2つがある。
弟の方では、私が追いかけっこする弟を止められれば、せめて飛び出しを防げればよかった。
いや、そもそも雪の日に外で遊ぶことを提案したのは私だ。
いつも通り家でゲームしていればこうはならなかった。
幸い障害は残らず、弟は元気に走り回っている。
しかし治療の跡は一生消えない。
おじさんの方は、自殺の日までに何度か会って話をするチャンスがあったのに忙しいからゲームしたいからとふいにして、いつのまにか死んでいた。
夜中、お母さんが震える声で私に「おじさんが自殺した」と伝えてきたのは今でも覚えている。
おじさんの死後、彼の趣味をようやく理解して楽しくなぞれるようになれたが、あと数年早ければ趣味の話で盛り上がって少しはメンタルケアできたのではないか。
そもそも、助けを求める人の信号を無視して自分は助かろうなんざおこがましいんだ。
私はどれだけ苦しもうとも、自殺で逃げることは許されないし、現実の人に救済されることも許されてはいけない。
その価値は決してない。
私、それも当時の私がなんとかできたであろうこと、少しでも行動すれば最悪を回避できたであろうことはこれ以外にも多々ある。
差し伸べられる手を持っているのに、それを使わない。
その手で助けを求めるのは傲慢だ。
親の悩みを聞いて手伝って、少しでも親の精神・肉体を保つのも、親がいない時に弟妹の面倒を見るのも、私にかかったお金を返すのも私の役目だ。
親は気を遣って生きるだけでいいと、自由に生きろと言うし、この宛メの人も親を気にするなと言う。
でも私みたいに寄生して奪って生きてきた人間は、一生日陰で親の老後を支えるしか恩返しとは言えない。
それ以外はただのツケだ。
この年齢まで重荷を背負わせた親への謝罪と感謝を込めて支払うのが、私の生きる意味だ。
だから私が定職に就く前に死なれちゃ困るんだ。
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