小さい頃に父親は壁を殴って穴を開け、
出て行きました。
父はアダルトビデオが大好きで、
子供の前や母の前でも平気で見ていました。
母はやめてと何度も言いました。
それでも辞めませんでした。
父は母が浮気をしていると疑いだして、
キレて家を出て行きました。
結局、離婚後に父親の実家に引き取られました。
おばあちゃんは、兄が大好きでした。
私はわがままで生意気で負けず嫌いだったので、
嫌われて毎日嫌味を聞かされました。
あんたは外面が良いだけ。
本当のあんたを知ったら皆んな嫌うに決まってる。
保育園で褒められてもそう言われるだけでした。
母が大好きだった私に、母の悪口を聞かされました。
母が嫌いになりました。
小学校4年生の時に、父が再婚しました。
義母は自分の息子が2人います。
子育てをした事がある人でした。
これで叔母に嫌味を言われないと安心しました。
義母は私と兄を殴りました。
初めて会った時から普通じゃないと思ったそうです。
女の子を育てた事がないから育て方が分からないとも言われました。
母に居ている上に女でいる事も嫌になりました。
殴られる日々が嫌になり、当てもなく家出を繰り返しました。
見つかればまた殴られました。
小学生の女の子が夜出歩くのが危険だからではありません。
虐待を疑われるからでした。
一度、学校に家出している事がバレて心配してもらいましたが。
それ以上もそれ以下もありませんでした。
怒られるようなことをしている私を他人に話したくなかったからです。
皆んな私の事嫌ってしまう。
それだけは避けたかった。
それでも殴られるのは続きました。
最初は義母だけだったのが、
父親も手をあげるようになりました。
蹴られて、
物を投げられ、
フライパンで殴られて、
髪を引きずられ、
馬乗りになって包丁や沸騰したやかんで脅されました。
勉強中に後ろから殴られて、
鼻の頭が切れたこともありました。
殴られ鼻血を出せば床が汚れたと怒られました。
嫌いだから殴るんじゃない。
愛しているから殴るんだよ。
私たちも怒りたくて怒ってるんじゃない。
家事をするのも私たち。
奴隷でした。
比喩とかではなく、そう呼ばれていました。
それが当たり前の日常でした。
児童相談所に行きました。
私は問題が無いそうで一時保護すらされませんでした。
誰も助けてくれないんだと察しました。
私は知らない人と出会うようになりました。
昔から父親のアダルトコレクションを見ていたせいか、
愛に飢えていたのか、
自傷行為の一環だったのか、
殺してくれる人を探していたのか分かりません。
楽しくもないのに、
なぜか辞められませんでした。
それが中学3年の時に親にバレました。
父親はもちろん激怒しました。
殺されるかもと思いましたが、
疫病神だから家を出ていけと言われただけでした。
家を追い出されて、
おばあちゃんの家に行きました。
おばあちゃんは私の事を高校生になっても、
小学生扱いでした。
そんな衝突もあり、
半年ほどでまた家を追い出されました。
大嫌いな母の元へ。
その頃には自傷行為の跡が腕にうっすら残っていました。
虐待死した幼い子のニュースが流れると、
周りの大人は可愛そう、
犯人は死刑にするべきだといいます。
私も死ねばよかったんだと思います。
虐待だとも言わない躾。
大人になっても残るトラウマ。
誰も助けてくれない不信感。
自己肯定感も育たない。
虐待で死んでいれば、
大人なってこんな苦労しなくて済んだ。
カウンセリングに行くお金は自分が払う。
どこからそんなお金が出てくる。
毎月毎月の支払いはまるで罰金のよう。
幼い子が亡くなれば可愛そうだと言うのに、
大人になっても五体満足だと、
皆んな辛いんだよ、
過去は忘れろ、
もう大人なんだから。
なんでそうなるんでしょうか。
虐待には変わらないのに。
虐待なんかじゃない。
問題はないのだから。