ごめんね。本当は愛しているよ。
言葉で伝わることなんてほんの少し。
なのに、100%だと勘違いしてしまう。
自分に対しても他人に対しても。
だから信じられなくなる。
頭に浮かんで来る考えが全てだと信じていれば。
言葉では悪態をついたり、嘘を言ったり、捻くれていたり、
辻褄が合うまで永遠に満たされることがない。
でももし、愛を信じられたならば、
何を言おうと、されようと、全ての人が
元々持っている完全なエネルギーに対していつも
同じように接することができるだろう。
エネルギーは一つなのに、身体が分かれているのは
どうしてだろう。
運命の人と一つになったとしても、他の人とは
一つにならないんだろうか。
エネルギーは共有しているが、魂は分かれていて、
身体はさらに分かれているという感じだろうか。
分かれている意味は一体何だろう。
身体が一つになるというのはおそらく、
男女のことだろう。
では魂が一つになるとはどういうことか?
地球以外の宇宙も含めて多くの魂が存在しているとして、
元々一つであるエネルギーが魂に分離した理由は?
魂は完全ではないから。
男女が一つになった魂は、さらに学びを深め、
完全なるエネルギーに目覚める道があるのではないだろうか。
この世界で不完全であることに絶望を感じていた。
ある日愛の存在に気付いた。エゴではないもの。
愛とはエネルギーと魂、どちらを指すのだろう。
魂は学びの途中だから、完全なるエネルギーを指すのだろう。
男女の統合とは、魂の存在に対する確信だ。
その魂がエネルギーで繋がっている。
魂の学びとは何だろう。
完全なるエネルギー=神に対する確信?
瞑想や音楽は何に当たるのだろう。
内なる声、魂の声、神の声。
魂も肉体と同じように消滅と出現を繰り返し、
全ての部分は完全体と繋がっている。
私たちは不完全な部分であり、完全体でもある。
では、このちっぽけな自分にできることって
一体何だろうか。
何もしなくても成立しているような気もするし、
男女の愛を育み、目の前の誰かの役に立つ。
何かを目指したり、変えようとする必要が
あるのだろうか。
過去に執着し、常に自分を図っている。
明日は明日の風が吹く。それでいいのに。
現実界での立ち位置はどこだろう。
流動的?仕事は?仕事に自分を当てはめること。