タイトルの通り、もう3年もずっと悩んでることがあります。
3年前に別れた恋人との事です、直接的な別れの原因は別れ際の喧嘩が絶えなくなってきて、苦しくて私の方から縁を切りました。
5年の付き合いでした。
本題ですが、私は相手から「言葉の暴力」を言われていました、例えば「お前は使えない」とか私が相手の意思にそぐわないことをすれば、溜息をつかれたり。
影でコソコソと悪口も言われていました。
そうした、細々とした事が降り積もり
私は遂に相手に手を上げました、3年経った今でもこの手をあげた行為以外誰にも手を上げたことはないし、付き合う以前もありませんでした。
恒常的に暴力したわけではありません
手をあげたとき、死ぬほど相手が憎かった
言葉の暴力をやめて欲しくて堪らなかった。
でも、周りの人は手をあげた私が悪いの一点張りで、モヤっとしています。
もちろん、私が手をあげたことはいけないことだとわかっているし、次にもし付き合う人がいたとしたら(これは甘えた言動かな)手を上げてしまうのかと、怖いです。
出来れば、もう付き合う人が出来なければいいとすら思ってます。
言葉の暴力と身体的暴力、どちらが悪いのか。
それとも喧嘩両成敗なんでしょうか。
相手は口が上手いので、私では言葉では勝てず、しかし相手の言葉に死ぬほど傷つけられて、今でも思い出しては苦しくなってたまりません
もう気にしないで生きていいのかな…
ななしさん
もう少し大きな視野をもってみたらどうかな…と思います。
その恋愛は、単純に、手をあげた、あげないの問題ではないと思いますよ。
・口の悪い人との付き合いに5年も費やしてしまった。
→自己犠牲精神や自己否定が強すぎる、根本的に自分を大事に出来ないタイプ。
・手を上げるまでストレスを溜めてしまった。
→ストレスを感じた時点で発散出来ず、ある日突然自分でもわけがわからないまま暴発するタイプ。
・怒りを表現するのに「平手打ち」という、自分にとって不利になる表現の仕方をしてしまった。
→最初に書いた「自分を大事に出来ない」と通じる。ストレスが貯まると自分の利益や保身を考えず、発作的に行動してしまうタイプ。
こういう様々な部分が、その恋愛や恋愛の終わらせ方がうまくいかなかった要因になっているはずです。
その過程を考えず、「手を上げたのが正義か悪か」だけに思考を絞ってしまうと、いつまでも自分の中に答えは出ないしモヤモヤも止まりません。
死ぬほど傷つけられてしまったのは、そこまで追い詰められ憎んでしまったのは、そもそも何故だったのか?
手足を縛られ監禁されていたわけでもないのに、自分の意思で、そういう人の側に長々といてしまった理由は?
惚れたら相手の言うことを何でも聞いてしまうのか、大きな声だとビビって従ってしまうのか、私さえ我慢すれば無事に終わるという事なかれ主義なのか…そういう最初の最初から自分の事を見てみると、自分がどういう人で、どんな恋愛が向いてるか向いていないかがわかるはずです。
そこがわかれば、次はもう少し自分も相手も気が楽な恋愛が出来るんじゃないでしょうか。