ななしさん
わたしは人を助けること、支援することを、業としてきた者です。今日も明日も来週も、来年も、それを業として生きるでしょう。(巷ではそう言われている職だということ)
相応の苦闘や葛藤の日々を反芻してきましたが、まだこれから先もそれは継続すると思います。それはいわば相棒のようなシガラミです。
しかし、ほんとうの意味で、私は他者を救うことなどできないかもしれません。ある年齢になって、懸命にどっぷり浸かってから、その後、そう感じるようになりました。
死にたいのは、生きている人間だけに生じる一時の感情ですから、その思いを否定しません。私でさえ、そんな時が生きていて、現にある。
しかしところで、どうして死んだらば、楽になりますか。
どうしてそのように思えますか。
あの世では、果たしてほんとうに、苦しい状況が晴れて楽になれるのでしょうか?
誰もそのことを生きてる以上、知ることはできないです。
私は、私が未だ何も知らない領域世界に対して、自分の生命と、この人生における苦痛の解放を期待して、それにすべて賭けてみたくはないです。
私が全く知り得ない、その先に、私にとってなにがしの光があるとは思えません。
それが生きている理由かもしれません。
知らないでいるからこそ、どうにか生かされています。
根本的な解決を目指さないことも、解決のひとつである可能性もあります。