閲覧していただいてありがとうございます。
長く見辛い文章ですが、お付き合いください。
私は他人から見れば幸せだと思われる事が多いです。
自分でもまぁマシな方かな、とは思うけど幸せ?って聞かれると即答できません。
私は下に年の離れた きょうだい がいます。
私が小学校高学年の時に生まれた子です。
下の子が生まれるまでは母は仕事、父も朝早くから夜遅くまで仕事で父と会うのは日曜だけで私にとっては父親は存在しない人で私には何も関係のない人だと思っていた。
普段いない父親が苦手でした。母親も、私より上の子を可愛がっていたので私はいらない子だったと思います。
私が話す相手は祖父と祖母だけでした。
それが、下の子が生まれたら今まで私に何の関心も持っておらず家庭を放置していた父が「これからは家庭の時間を大切にしたい」と言い定時退社できる会社に転職しました。
それから私は壊れていきました。
私の唯一の心の支えだった祖父母。主に祖母ですが、父と非常に仲が悪く父は暇さえあれば私達に祖母の悪口を言ってきました。
祖母と父に挟まれる私。母と父に挟まれる私。祖母と母に挟まれる私。この頃からお前の顔を見てるとムカつくと母に殴られるようになったと思います。
父は、何を言われても無表情で怒りもせず、スカした顔をしている私はおかしいのだと、言っていました。
お前には感情がないのかと、何度も怒鳴られました。
「俺の事は嫌いでもなんでもいいから、家族のふりをしてくれ」そう胸ぐらを掴まれながら言われたのを今でもはっきりと思い出せます。
死にたい、けどいざ死ぬとなると面倒。
生きるのも死ぬのも面倒でフラフラと生きていました。
学生生活も外面は良いお陰で特に孤立するわけでもなく、普通に過ごしていたと思います。男に嫌がらせをされた事もありますが、たいして苦じゃなかったと思います。覚えてないけど。
生き辛い、と思い始めたのは小学生の頃からで今、20代前半ですが生き辛いのは変わりません。
話が飛びますが、私は高校を卒業してからすぐに就職をせず、アルバイトで生活していました。
母と喧嘩をした際に、初めて過呼吸になりました。
それから3ヶ月ぐらいは過呼吸が頻繁に出るようになったと思います。
半年も経つと過呼吸は全く出なくなりました。
バイトを辞めて、自由気ままに遊んで1年経ったあたりだったと思います。
父に知り合いの会社に勤めてみないか、と言われました。コネ入社です。
最初は断りましたが、説得されて入社しました。
そこから治ったはずの私がまた壊れていきました。
仕事が始まって3日目ぐらいだったと思います。
朝、起きたらとにかく気持ち悪くて、涙が止まりませんでした。
泣きながら駅に行き、電車に乗り、会社まで行きました。
やっと会社に着き、自分の机に行くと倒れてしまいました。
パニックになった私は何故か母にメールを送っていました。すぐに返事がきて、また送り返したら電話がかかってきました。
私は床に倒れて過呼吸になっており、とても話せる状態ではありませんでした。
母は動揺していたと思います。
その日は早退させてもらいました。
次の日、会社に行こうと準備をします。
また涙が出てきます。それでも行こうと玄関に行きました。体が震えて過呼吸になりその場から動けなくなりました。
結局その日も休みました。
仕事が始まって1週間、父が知り合いの方に事情を説明して私は休職扱いになりました。
勿論給料はお返ししました。
父から専門の人に診てもらうように言われ、私は心療内科に母と行きました。
今こうして自分の事を書いていますが、主治医相手だと私は何も話せませんでした。今でもそうです。何も話すことなんてないって診察室に入ると思ってしまってただ壁を眺めてるだけです。
先生が言うには、病名を付けるなら私はパニック障害、軽度のうつの傾向。だそうです。
薬は飲むように言われましたが私は拒否して、ただの診察だけで治そうとしていました。
早くまともに戻るには薬を飲んで治した方がいいのではないか、死ぬにしてもお金がかかる、早く治してお金を貯めてしねばいいのでは
色々考えて薬を飲むことにしました。
母から説得されたのもあります。父は反対でした、薬を飲むなんて、と怒っていました。
自分が病院を勧めたくせに、いざ行くとなるとお前は自分が病気だと思ってるのか、行かなくていい、薬飲まされておかしくなるだけだ、色々な事を言われました。
先生は私は周りの大人に求められるがまま、子供でいていい期間に大人の都合のいい子に、無理やり大人になった子で、自分一人の人生をこれから生きていく瞬間に私に無かった、奪われた子供時代が今きてるのではないか、そう言われました。
父や母にもお前には苦労をかけたと何度も言われました、わがままを言えなくさせたのは自分たちのせいだと。
家族なんだから、頼りなさい。そう父は私に何度も言いました。昔自分が言った事は忘れてるんでしょう。でも私は覚えてます。
父が嫌いで、母もどちらかと言えば嫌いで、きょうだい も、嫌いでした。
家族が嫌いで、嫌いで、仕方がありませんでした。
嫌いの中に少しでも好きな部分を見つけて、なんとか家族ごっこを続けています。
正直に言うと、好きだ嫌いだと悩むのに疲れました。もうどうでもいい事だと、そう思って流れに逆らわず過ごしています。
すごく話が脱線しました。
他人から見た私は、優しく面白い両親にきょうだい、友人もいて周りに溶け込める。
友人にはよく悩みがなさそう、羨ましい、変わりたい。そう言われる事が多かった。
私は家の事をやり、下の子の面倒を見て、高校に入るとバイトをして、自分の生活費、学校費を稼ぎ、母に残りを奪われ、行きたくもない、やりたくもない家族行事に無理やり参加させられる、そんなクソみたいな私の生活を、何も知らない、表面して見ていない奴らに何度も 羨ましいと言われて苛ついていたのを覚えてます。
今も心療内科に通っています。
薬も飲んでいます。仕事には復帰してません。
明るくなった、昔みたい、薬が効いたんだ、と両親に言われるようになりました。
先生も言っていました。
どこが、なにが良くなったんでしょうか。
発作はなくなりました。気分も前よりは確かにマシになりました。
でも、私の自殺願望は消えません。
自分を守るために虚勢を張って、守っていたものを実の父親に壊されました。
それを頑張って修復したものも家族に壊されました。
私を苦しめるのはいつだって家族で、
でもそんな家族を完全に憎めない自分に呆れる。
結局は他人のせいにしてるだけなんだと思います。一番悪いのは私で、死にきれなかった私が悪い。
そう思って、今日も無駄に生きています。
ダラダラと長い文章を読んでくださりありがとうございます。
答えてくださると嬉しいですが、答えなくても構いません。
家族に自殺したら許さない、二度としないと約束してと言われたら貴方はなんて答えますか。
約束を守りますか。
読んでくださりありがとうございました。