死にたい人と死にたくならない人の差はどこにあると思いますか。
本当は、どこでどう死ぬべきか、現実的なアドバイスが欲しいのですが、回答が弾かれると思うのでこのような手紙になりました。
私は比較的、環境には恵まれたと思っていますが、死にたいです。
社会的に平均以上の学歴とコミュニケーション能力を持ってる自覚はありますが、死にたいです。
親から愛されて育っても自己肯定感は低いです。
これは何故ですか。
この文章を読んだだけではうまく伝わらないかもしれません。
でも私は虐待にあったわけでも、いじめにあったわけでもないのです。
それでも自分を愛せず、何回も死のうとしている。
これは何故でしょうか。ただの性格ですか。それとも私がただのクズなだけですか。
名前のない小瓶
68346通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
僕の状況とよく似ているかもしれません。
僕も有名私大を出てそこそこ良いと言われている就職先に行けたのですが、幸せになれませんでした。
今はその仕事をやめて、ほどほどに給料をもらえる仕事をしながら絵描きで食べていけることを目指しています。
ですが、高校や大学時くらいからうっすらと根付き始めた無気力感や自殺願望がずっと後を引いていて、人生が空しいです。死ねるなら死にたいともう10年以上思っています。
もう死のうというところまで堕ちて、やっぱり怖くて悲しいから死ねないなとしかたなく動き出す、そんなことのくりかえしです。
名前のない小瓶
私も毎日死にたい気持ちが消えません。死ねた人と死ねない人の差が知りたいです。クズではないと思います。
ななしさん
この世で生きることって苦痛の方が多いと思うんです。
昔の嫌なこととか、今の悩みとか将来の不安とか、苦しみって強烈に残るから死にたくなるのって自然なことだと思います。
寧ろ死にたくなるのが普通で、
死にたくなる人は生きてる上で一旦立ち止まって、自分は本当にこっちを進んでいいんだろうかって考えてる状態、
死にたくならない人は、流れに身を任せている状態
なんだと思います。
キングテレサ
死にたい人と死にたくならない人の差は、心に「絶対的な守りたくて失いたくないもの」があるか無いかではないでしょうか!それがあれば心の支えと守りになりますからね。
ふ
死後の世界がどうなっているかはわからないし、
自分ではどうにもならないから、寿命がくるまでは死にたくないです。
死んだ世界に憧れでもあるのですか。
現世よりいいという保証もないのに
死にたいという思想はどうしてうまれるのか逆に知りたいです。
ななしさん
退屈なのではないかな…と思います。
要は刺激がなくてつまらないんじゃないでしょうか。
もしかしたら主さんは人並みより感受性や想像力が鈍いのかもしれません。
例えば空に浮かぶ雲を見て「雲だ」と思うのと「あの雲はネコの形に似てる」て思うのと、どちらが頭や心を使うかと考えたら明らかに後者です。感受性や想像力が豊かな人って、それだけ楽しみを見つけやすいし、受け取りやすいんです。
逆にそこが鈍いと、親に優しくしてもらっても「うん、ありがたいな」という「良い親がいて幸せな子供」の一般論で終わってしまい、自分自身の気持ちが動かないんですね。
主さん、この世界がつまらないんじゃないかな。だから死ぬという刺激的なものを求めている。
さすがに死ぬことをぼーっとあっさり淡泊に出来る人はいないだろうからね。死ぬ準備をする間も調べる間も、死ぬ為の道具を組み立てている間も、少なからずハラハラするし人生を振り返ってみたり命について考えてみたりもしてる。
主さんは、死を考えることによって普段は鈍い感性がようやく興奮する。
その興奮で退屈が消え、一種の快感が生まれる(生きていることを実感するとか)から、死を考えるのを止められない。
そういう状態じゃないかなと思う。
ななしさん
死にたい人と死にたくならない人の差は、明確な答えがあるものでは無いと思いますが、自分の死に関しての興味が強い人かそうでない人かの違いではないかと私は思います。
また、環境に恵まれていても、死にたいと考えるのは、ひとつの個性なのではないかとも考えています。
私自身、親に虐待されることも無く、いじめもなく、そこそこの大学に行けて、恵まれた環境にいるとは自分でも思いますが、元々自己肯定感が低く、他者との比較を頻繁にしてしまい、死にたいと考えることが多いです。いつ、どこで、どんな死を迎えたいかを考えることがあります。しかし、友人の1人に、そんなことは考えたことがないといわれました。そのため、死にたいと考えるのは個性のひとつなのかもしれないと思いました。
自分が生きていく上で、他者に迷惑をかけるのは仕方ないとして、周りの人に心理的損傷(虐待、セクハラ、パワハラ)、身体的に傷を与えるなど(思いつくのがなくてすみません)、犯罪に繋がるようなことをしない限りはクズだとは思いません。たとえギャンブルをしていても、周りを巻き込まない程度なら私はクズだとは思いません。なので、死にたいと考えるのは、クズだからだとは思わなくて良いと思います。
三つ子の魂百までというように、根本的な性格は変わらないかもしれませんが、環境の変化などによって、気持ちの持ちようは変わる場合もあると思います。自分が愛せず、死にたいと今は考えているかもしれませんが、もう少し、死ぬのは先延ばしにしてもいいかなと個人的には思います。
名前のない小瓶
私もかつては死にたがりでした。
でも、今は違う。
私は
自分で自分を認めてあげられるかが
死にたい死にたくならないの
差だと思います。
死にたくなるのは仕方ない。
でも、死にたくなる自分まで否定してたらどんどん辛くなってしまう。
だから
行動に移さなければ、死にたい気持ちを抱える自分も居て良いんだよ。苦しかったね。もうそんなに考えなくても良いんだよ。
そう自分に言うようにしています。
最初は受け入れられないかもしれない。
無理矢理にでも思い込ませる努力をしなければならない。
でも、その癖がついたとき
少しだけ、死にたくなる気持ちが薄まるのではないでしょうか。
アスナ
ぼくもそういうときがあった。
なぜかそんなにツラいわけじゃないのに、死にたくなって...。
自分と、この世界が嫌いだからじゃないかな。
でも、自分以上にツラい人がいて、頑張って生きてるのにぼくが死んじゃダメだって、思って生きてきた。
本当にツラい環境じゃないのなら、流されてるだけでもいいから、生きた方がいいよ。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。