※希死念慮や鬱表現・その他排泄的汚い話が含まれます。
※過去の話を元にやや物語調に話を再構成している箇所があります。
あの日は家族Aの誕生日だった。
記念に僕らは焼肉を食べに行くらしい。そのため、食事量の少ない僕は夜に備えて昼食は菓子パンのみにしておいた。
その日直前の数日、僕はほとんど寝たきりで過ごしていた。布団の上をごろりごろりとしながら食事の時間以外は現実逃避に浸る。████を聴き漁っていたくらいしか通院以外にろくなことをしていない。
それだからか僕の腸も同様に活動せず、排便はおろかガスさえもパンパンに詰まっていた。
夜、焼肉屋に行くために家族A,Bと僕の三人はタクシーに乗った。久しぶりの乗車だからか緊張で腹が痛くなる。
焼肉屋に着く。騒ぐ若者の声で腹が痛くなる。久しぶりに会う家族Cと合流し腹が痛くなる。食べる。腹が痛くなる。不安が募る。腹が痛くなる。
僕は諸々の理由で腹痛に耐えきれずトイレに行った。正確にはわからないが70分ほどの食べ放題で約40分はトイレに籠っていただろうか。
僕はトイレの中でひたすらに悔いと恥を感じていた。
人の誕生日を祝えないなど恥ずかしいと、こんな体質でなければ良かったらいいのにと。
そしてこの体質はどうして形成されてしまったのだろうかと。家族Aが元々腹が弱いほうなので先天性のものだろうか。誕生日の人のせいにするなど嗚呼なんと親不孝なことか!
もし後天的なものであれば家族Cの苦手な元気さが大声を出す若者をストレッサーとして腹を痛める原因になったのか?いいや、彼のせいにするのも大概にするべきだろうか。
それとも、どんな環境であっても僕はこうなる運命でいたのか。僕は初めから生まれてくるべきでは無かったのか。彼らに迷惑をかけるくらいなら、生まれてこなかったほうが……。
痛みに呻きながら無駄にスケールの大きいことを考えて涙が滲んでくる。
途中でトイレの扉越しに家族Bの心配する声が聞こえた。極力元気そうに答えてはみたが心中は穏やかでなく、何もかもが申し訳なく感じてしまった。
この日くらいは楽しんでいられれば良かったのに、僕はそれさえも出来ない。無力感に苦しんだ。
結局、僕は元を取るには程遠いほどの量しか食べることは出来なかった。不幸中の幸いか家族が罵倒を投げかけてくることはなかったが、彼らの過去の無理解故の発言も知っているので安易に信用さえもできない。
しかし今日だけは、彼らを信用できない自分が悔しくてたまらなかった。
腹痛と空腹の中、悔いとともに僕は焼肉屋を後にした。