ななしさん
もし愛する人が何らかの理由で貴方の気持ちに応えることが出来なくても、愛する人ともう二度と会えないとしても、貴方がその人を愛しているということだけで、その人の生きた証になるのではないでしょうか。
人の人生って、パズルの様なものだと思います。真ん中じゃなくたって、隅っこのピースでも足りなかったらパズルは完成しないし、物足りないですよね。
例えパズルの隅っこでも、貴方が菅田さんを愛していることはキラキラのピースです。貴方が苦しんでいるとしても、愛しているのなら、その瞬間、菅田さんのパズルは美しく彩られています。これって、素敵なことではないですか。
そして、もしも、いつか菅田さんとは別に愛する人が出来た時、その人のパズルもキラキラにしてあげられると良いですね。
小瓶主さんが少しでも幸せになれます様に。
ななしさん
まだ高校生の小娘ですが、もし良かったら読んで頂けると嬉しいです。少し過激な考え方かもしれません。ごめんなさい。
菅田さんがもし小瓶主さんのことを嫌いでも、小瓶主さんが菅田さんを愛しているということに価値があると思います。
誰かが亡くなってしまった時、その人は物理的には居なくなっても、一人でもその人のことを覚えている人が多ければ多いほど、その人は別の形で生き続けることが出来ると思います。
縁起の悪い例えで申し訳ないのですが、もし小瓶主さんの愛する人が亡くなってしまっても、貴方がその方を愛しているということは揺るぎの無い事実ですよね。菅田さんは小瓶主さんに愛されながら、小瓶主さんの中でずーーっと生きることが出来ます。そのことだけで、菅田さんの人生という大きなパズルの中で、隅っこかもしれないけどキラキラの素敵なピース(=生きた意味)になると思います。
良い言葉が見つからず、変な宗教みたいな、分かりづらい文章になってしまいました、すみません、、少しでも伝われば嬉しいです。