愚痴は、私のことを好きでいてくれて
私の話をよく聞いてくれて
私のことをよくわかっている人に話をしないと泥沼になる
例えば、会社である人に嫌われている場合、
どれだけ仕事をきちっとやっていて
他の人から評価をいただいていても、
その人に何かにつけて、バカだの努力が足りないだの言われたとしよう
その状況を、無関係なひとに話す
話された側は私の会社での状況を知らないわけだから、無意識に私の「バカで努力が足りない点」
を探す
表面的には合わせて共感していたとしても
こういう所が言われてるんじゃないの?
と想像が巡り
最終的に、お前はこういうところがバカで努力が足りないというアドバイスをしてきたり
それ以降も接するたびに
「あ、本当だ。こういうところバカだ」
というふうに私のバカで努力が足りない点を探される
いくら私が、
「いやいや、あれはいいがかりなの」
「私は仕事ちゃんとやって評価をもらったよ」
と言っても信憑性がないし
というかそんなこと他人に自分で言ったりしないし
自己評価高すぎやろと
謙虚が美徳な日本人には
思われてしまうから
愚痴は、言えばすっきりするが
結果的に
自分のイメージを下げてしまうこともある
愚痴ばかり言う人って意味だけじゃなくてね
①結論…誰々にこんなこと言われた系の愚痴は危険
じゃあ誰々にこんなことされた系の話はどうだろう
犯罪やいじめレベルなら共感してもらえるかもしれない
が、深刻性がなかった場合、頻繁に言っていて解決できていないと他人のせいにする人扱いされて面倒だと思われる
誰々がこんなことしてた腹立つ系の場合は?
こいつはちょっとしたことで他人のを責めるんだ
と思われる
②結論…やっぱり愚痴は危険
しかし愚痴が功を奏す場合もある
同じコミュニティ内でパワーバランスが自分の方が上の場合だ
愚痴の対象となる相手が立場が自分より弱く、
その相手をよく思わない人間が何人もいる場合、
愚痴れば
「えー!あの人、そんなことしてたんだー!!」
と思ってもらい、自分の味方につけることができる
その時のポイントは相手のやらかしたこと言ったことだけを話すこと
自分の非や自分が相手にやったこと言ったことは隠し話すこと
人間同士の関係でどちらか一方だけに非がある場合は、少ない
だからこそ、いかに自分を被害者に見せて話すがが大事である
③結論…愚痴は状況によっては味方を引きつけ敵を追い込む手段となり得る
本来ならひとに愚痴を言ったり話すと言う行為は
カタルシスを引き起こし心がすっきりして精神衛生上いいもののはず
だが
心から思っていることを話せるのは
良い聴き手がいてくれてこそ
あらぬ想像を巡らしたり
相手を批判したりせず
まっさらな心で
人の話に耳を傾ける
傾聴スキル
と呼ばれるものだが
これは訓練されたプロでも難しい
一人一人が自分なりの色眼鏡をつけているからだ
私は人の話に耳を傾けているだろうか
偏見や先入観なしに話を聞いているだろうか
その人そのものを真っさらな目で見ているだろうか
噂やイメージに惑わされずに
教訓
④結論…色眼鏡なしに人の話を聴けたとき、世界は優しくなる