贔屓についてどう思いますか?
例えば、IQが多少高いから贔屓して良い勉強をさせるとか。
沢山の人が決められていたルールで頑張ってる中で、
努力ではどうにもならない理由で試験を落とされたりとか。
(例えば、勝手に女子生徒の得点を下げる大学があったり)
そんなことをしたら
「努力なんて無駄」
「結果が全てではない」
「挽回すればいい」
大きなニュースにならない限り
そうやって泣き寝入りを人が出てきてもおかしくない。
諦めなくてもいい人が諦めることになってしまう。
IQなんて処理速度の速さだから物事の一側面であって
その人だけに良い環境を限定する理由にはならない。
行動すれば思いの強さは後からついてくる。
私は努力が報われる方がいいと思っています。
努力したひとを傷つけてでも贔屓する、贔屓されたいというなら
まずはそこまで思い詰める気持ちを解決するのが先だと思うんです。
みなさんはどうでしょうか。
69458通目の宛名のないメール
小瓶主の返事あり
お返事が届いています
ななしさん
(小瓶主)
お返事ありがとうございます。とっても嬉しいです。
能力に合わせた環境が大切であり、それは社会のため、人のためになる、そして自分の気質や能力を知っていく中で、時には選抜(優遇?)されることもあれば、時には苦い挫折を味わうこともある、ということで納得できました。
そして、勝手な解釈で個人が能力を発揮する機会を損なうような行為は不当で反社会的であり、ケースによっては犯罪になってしまう。
互いの個性を認め合い、能力を伸ばすことが有意義だと歴史が証明している、ということで…
嫉妬を向けられた時にどうすべきかなど、いろんな場面を想定してみましたが、もしもを考えるとキリがないので、機会があったらもう少し考えてみようと思います。
改めまして、本当にありがとうございました。
ななしさん
厳しいかもしれませんが、努力しても無駄だと泣き寝入りするなら、その程度の志だと思います。
IQが高い人が良い勉強をさせる理由はありますよ。高いIQの人が環境を整えることによって何らかの実績をあげることは、歴史が証明しています。だから良い能力を引き出す為にもどんどんやればいいと思います。
優れた人が増えればそれだけいろいろな学問や研究が進み、新しい薬が出来たり、便利な機械が開発されたりするんです。それによって助かる人々もたくさんいます。
贔屓だと非難して成長を遅らせても、何の得にもなりません。
IQでなく、勉強やスポーツの世界でもそうでしょう。
水泳でAさんは既に200m泳げるのに「Bさんがまだ50mしか泳げないからちょっと待ってて!」て待たせますか?
英検1級狙えるレベルの人と、アルファベットも書けない人を、同じ問題集で勉強させますか?
もう出来る人には、より難しい課題を出してどんどんやらせた方がいいでしょう?
下手に平等な環境にして成長を遅らせてしまう方が損失です。
平凡IQの人は、高いIQの人をいちいち妬まずに自分の処理速度でやれることやればいいんです。
世の中、平凡の方が圧倒的に多いんです。その中での切磋琢磨に頑張ればいい。別にIQ高くなくても、平凡の中で結果出した人には学費免除とか強化選手に選ばれるとか、特典いろいろあるじゃないですか。そういうものを目指せばいい。
諦めて泣き寝入りする理由はまったくない。どうせ無駄だしと投げ出してしまう理由にはならないはずです。
女子の点数をこっそり下げるのは贔屓でなく犯罪ですから、意味が全然違います。
あれは絶対にやってはいけないことです。だからやはり女子学生は「頑張っても無駄なんだ」と思う必要はないです。
ななしさん
贔屓というのは不当な評価のことでしょうか。
わたしは努力や才能に関係なく、優秀な人が評価・優遇されるのがいいと思います。
例えば大学入試、上位○人が合格。
一位は学費免除のような。
例えば漫画で賞を取れば本誌でデビューのような。
頑張ればみんな合格、頑張れば学費免除、頑張れば漫画家デビューだと、きっとみんな頑張りましたと言うでしょう。
まず不可能ですし、頑張らなくても望みが叶うなら報われるという価値も無くなります。
能力がなければ、結果が出なければ意味がない。
だからこそ報われる価値が生まれ頑張れるのではないかと思います。
勿論学力テストを性別で減点するような行為は、あってはならない不当な評価だと思います。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。