ずっとずっと薬は我慢してきました。
のむと楽にはなるけど本当じゃない。
不安を感じないようにするだけの薬で根本治療にはならない。
副作用もつらい。
なので、本当にたえられなくなったときだけのめるよう、
いつもお財布の中に一錠だけ入れていた。
でもかえってそのことで安心して、ずっとのまずにやってこられました。
それがとうとう我慢できずに口にしたのは、ひとりで耐えることが限界になってきたから。
本当ならカウンセリングや医療以外のことで向き合い、変えていきたい。
けれどカウンセリングはあまりに高額。
カウンセラーと名乗る人たちって、
辛い状態にある人がそんなに稼げているとでも思っているのか不思議で仕方がない。
カウンセラーだって食べていかなければならない、
それがプロとしての仕事であればなおさら相応の金額も提示するのは当然のこと。
でも、そんな素晴らしいカウンセラーのカウンセリングを受けられるのは、
恵まれた状況にある人だけ。本当に必要とする人には手が届かない。
だから保険で簡単に手に入る薬に頼るしかないんです。
世の中はあまりに優しくない。
私の母も、私が辛くて仕方がないときに「自分が悪いんでしょ!」と優しくなかった。
だるくて苦しくて動けない私に「いつまでそうやって寝てるのよ! 仕事はどうするのよ! 家にお金も入れないで!」とわめきたててきました。
音に敏感な私が「頼むから毎朝のうがいをもっと静かにしてくれ」と頼んでも、
「親が立てる音も嫌なのか、そんなに私が嫌なのか」と逆ギレするばかりで少しも応じてくれようとはしなかった。
病んでいるのは私ではなく、あなたのほうだと言いたかった。
あなたが、幼い私にした暴力や暴言のために、
私は今も苦しんでいるというのに、そのことを認めようとは決してしない。
何もかも、全ては人のせい。
そんなだから孫からも「おばあちゃんって、人の悪口ばかり言う人」って言われるんです。
母との関係を私はもう修復するつもりはありません。
いかに自分が良い母親であったか、娘を愛しているか、なのにどうしてわからないのか、
この歳になってこんな辛い思いをするとは思わなかったなどなど、
一方的に甘ったれた泣き言をつらねたメールも電話も全てブロックしました。
今となっては、母は払っても払ってもすがりついてくるおんぶお化けみたいなもので気色が悪くて仕方がない。
だからもうこれ以上母に人生をむしり取られたくなくて、母のことは捨てました。
あの人がこの先どのような死を迎えるにせよ、
私は関心すらありません。
人を責める前に、自分がしたことは虐待であったと認めて後悔くらいはするだろうか?と単純に疑問に思いますが、
それすらももうどうでもいいことです。
父が亡くなれば娘に、娘が背を向ければ今度は息子に寄生し、
かつて父への愚痴を娘に繰り返し聞かせ続けた母は、
今度は兄に娘の愚痴を言い続けている。どこまでもどこまでも人のせい。
母のようになりたくないから、私は必死で耐えてきました。
人の悪口を言わないようにし、悪口を言われている人をかばい、人の言い分に耳を貸して励ましてきた。
本当は自分がしたいことも、人にゆずってきた。
けれどもう私は限界です。私は他人を優先し過ぎて、自分を見失ってしまった。
どうやっていきていけばいいのかわからない。
考えすぎだとか、もっと明るいことを考えましょうとか、前向きに、とか、お母さんとは違う人生なのだから、とか
そういう言葉はいりません。
そんなことはわかっている。だから懸命に努力してきた。なんども転んでは立ち上がってきた。だから母に縛られないよう捨てたのです。
私の人生から締め出しました。もう入ってきてほしくないのです。
愚痴や泣き言を言うばかりで自分で解決しようともしない人は、母であっても面倒は見きれない。ああいう人はいるだけで家族に毒を盛り続けるようなものだから。
励ましはいらない。私はずっと自分で自分を励まして頑張ってきた。
でもそれも限界。
ただ今の状態を解決したいだけ。これまでの自分ではない自分になりたいだけ。わがままに自分のほしいものにまっすぐ手を伸ばしていける人間になりたいだけ。