私は今まで、自分は何も価値がないのだから、努力して何者かにならなければならないと思い続けていました。
それによって、強迫的な性格になりました。
暇ができれば勉強したり、何かを調べて生産的な活動をしなければと思い、休みの日にだらけてしまえば自分を責めたり。
他人に対しても、礼儀正しく、明るく、面白く、優しく、相手の期待通りに動かなければ、と常に気をつかっていました。
家族に対しても、批判されたり面倒だと言われるのが怖くて、感情を抑えたり。
幼い頃からそうしていたから、感情や自分の言いたいこと、したいことを我慢するのは日常茶飯事で、いつのまにか、ロボットのような人間になっていました。
自分で自分の感情がわからない、他人が怖い、誰のことも愛せない、信頼できない。
そんな私ですから、気の強い人からはストレス発散のためのサンドバッグとして利用され、クラスメイトからは何考えてるか分からない、暗いと言われ、いつも独りでした。小中高と、ずっと学校では無表情で、誰とも話さない。そうとう不気味だったでしょう。
親に苦しみを伝えても、面倒くさがられ、自分が悪いんだろ、と言われ、更に口にできなくなりました。
明るく楽しく優しく賢くない自分を責め、周りに迷惑をかけたり、周りにとってプラスの存在になれない自分を責めて。
そして鬱のような状態になり、死にたい、というより、四六時中、頭と心がぐるぐるしていて、体の奥から具合の悪くなる物質のようなものが分泌される感じで、とにかく苦しくて叫びたくて仕方ありませんでした。
苦しい、と思うことすら、悲劇のヒロインぶる自分気持ち悪い、と否定して、治りたい、と思いながらも、自分のような人間が普通の人のように過ごすことは許されないと、自分が楽しくなるような行動は禁止していました。
日記には、苦しい助けて、と書いたすぐ下に、自分が気持ち悪い、醜い、何の価値も無い、と自分を否定する言葉を連ねていました。
自分が今まで生きてきたのにかかったお金を計算し、自分がそれにふさわしく生きていない、と責めていました。
芸能人の誰かが亡くなると、私のような価値の無い人間が生きて、あの人のような素晴らしい人が亡くなるなんて。私なんかが生きていてごめんなさい、と涙が出ました。
貧困問題や戦争のニュースがあると、私には衣食住がそろっていることが非常に申し訳なく、またそれに見合うような他人様への貢献をしていない、と自分を責めました。
また、常にお風呂に入って体を綺麗にし続けていたい、と思うほど、自分の体が非常に汚く、醜いと思い込んでいました。
学校では、体が苦しくて、授業を受けようにも異様な眠気に襲われ、成績は下がる一方。独りでいることの恥ずかしさと、独りでいるゆえ自分を責め続けられたことで、学校にいることは地獄でした。
でも、私は他人に迷惑をかけることは許されないため、学校に行かなければならない。親に生活費をまかなってもらっているから、正常そうに振舞わなければいけない。努力し続けなければいけない。
先生たちは、私が平気そうに見えたのか、誰も話しかけたり、心配をしてくれたりはしませんでした。もしかしたら、単に興味がなかったからかも知れませんが。または、私が求めすぎらなのかもしれません。
頭が働かない、いつも体がだるくて疲れやすく、横になっていても辛い。苦しい、助けて、でもそんなこと言うのはおこがましい。
誰も助けてくれない、誰も信頼できない、生きる意味はない、私は無価値、世界は汚くて。何のために生きているのか、ただ周りに迷惑をかけ、無駄に資源を消費する自分。
何か、とあうより、全て完璧にこなさなければ。容姿端麗で、頭もよく、性格もよく、面白く…。他人の期待に応えられ、他人のために尽くさなければ…。
これが、私の日常でした。
だから、他の人も同じ地獄のような日々を過ごしていると、本気で信じていました。
今も他人不信は変わりません。愛情に飢えています。でも、前よりはだいぶマシになりました。
周りの誰もこんな暗く、つまらない話なんて聞いてくれないから、ここに流します。
もちろん、私よりずっと苦しく、今も苦しんでいる人もたくさんいるから、自分が1番辛いなんて思っていません。私の言葉は、ありがちで、軽い。よくある話。地獄というには、甘すぎる。
ただ、誰かに愛してほしい、誰かを愛したいと思っています。今までのことを忘れられるくらい、安心したい。
そう思うことは、私にも許されますよね?ただ、誰かに認めてほしいのです。
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前半部分を読みながら、そんな事ない、そんな事はないんだよってずっと思っていました。
私は自分の事を正直社会向きの人間じゃないように感じているし、遅刻したり、ウッカリ何か忘れたり……いっぱい迷惑かけて生きてきました。自覚はあります。やらかすたびに正直ヘコみます。あぁ、情け無いなぁと。
でもきっと、人間の魅力はその本質なんだと思うんです。その人らしさだと思うんですね。
もちろん「らしさ」が出るほど好みは分かれちゃうと思います。ハッキリ物を言う子が好きな人、苦手な人。慎ましやかな子に惹かれる人、イライラしちゃう人。
どんな人にも「らしさ」があるから、誰かにはどうやったって嫌われちゃうけど、誰かにはどうあっても好かれるんじゃないでしょうか?
Aさんから見て、好みのBさんには価値があると考えたり、好みでないCさんに価値はない、もとい興味ないと思ったり。なのにDさんはCさんにこそ価値があるんだぞと思ってたり。「普遍的な価値」なんてものはどこにもないのかもしれません。私にとって、あなたにとって、あの子にとって、誰かにとって、みたいなものしか。
だったら、それは小瓶主さんが決めちゃえばいいと思うのです!
私としては、価値のない人間なんて一人もいないって思っています。根拠はありませんが、そう思っています。それでいいと思うのです。
私はうっかり者で鈍臭いけど、私が私として生きてる事が何より価値ある事だって勝手に思っています。小瓶主さんだって。
自分が辛い中でもっと辛い人を想える強さも、いちばん辛い時を乗り越えて生きてきた強さも、私の持っていないものです。陳腐な表現しかできないのが悔しいですが、凄いなぁと思います。かっこいいなって思います。
きっと愛する人を見つけて欲しいです。心から愛してくれる人を見つけて欲しいです。小瓶主さんにとって、心安らぐ居場所が見つかるように、ささやかながら応援させてください。
どこかと比較して軽かろうが、よくある話だろうが、そんなのは関係ないよ。
小瓶主さんご自身の人生の話なんだから。
文章から察するに、とても苦しい経験をしてきたであろう事が伝わってきた。
甘い人生だとは、微塵も思えない。
小瓶主さんではない、当事者ではない俺が、感じて来られたであろう辛さ、苦しみ、重みを詳しく解る訳でもない。
でも、所詮赤の他人の言葉、気持ちではあるが、大分ましになったと、文面からだけでもそう読めて、本当に良かったと思う。
俺自身の話、もう今は良くなったと思うが、抑うつと診断された事もあり(あまり良くない事だが、通院しなくなってしまったので病状の確定まで行かなかった)、心というか、精神と身体との兼ね合いから来る辛さ、難しさは、自分の経験した程度だけでも解るつもりだし、経験と文面から合わせて、非常に辛かったのではないかとも感じる。
どこから目線なんだとも思うし、文にすれば薄っぺらく感じるかもしれんが、よくここまで来た、よく頑張ってきた、今まで小瓶主さんがやってきた事は、凄い事なんだと思った。
許しなんていらない。
許しなんてあってもなくても、小瓶主さんには、様々に思う事、考える事が出来るし、出来ている。
自分の肯定感と言うのか、不安なのは解るし、主さんの求めている言葉ではないのかもしれんが…
「許す」と伝えるより、「愛してほしい、愛したい、安心したい」という気持ちを持った主さんを、応援したい。
そういう気持ちを、誰に言われるだとか、許されるとかじゃなく、小瓶主さんと、ご自身にとって明るいような、その湧き出た思いを、応援というのか、肯定したい。
上手く言葉にならなくてすまんな。
それと、主さんご自身の人生の振り返りを、ここに出そうとした事、文章から感じる事なのだが、あなたがここまで生きてきた分、自分自身を歩こうとしてきた分の愛は、絶対にある。
もしかすると、ご自身、ここへこの小瓶を出す事に、多少なりとも戸惑いというか、抵抗感はあったかもしれない。
だけど、それによってご自身を責める事があったとしても、ご自身の力で、自分自身を守る力もあったからこそ、今のあなたが在るのではないかと思う。
今までの事から、ご自身を責めてしまうような癖というか…、自分自身を辛い中、それでも背中を押し、引っ張るようにしなければ、耐えきれなかった事が多くあったのかもしれない。
それが今も、多少なりとも残っているというのは仕方がない。
言われるまでもないお節介かもしれないが、自分を責めてしまっても、責めてしまう事も致し方なかったのだと、それだけ大きな事だったのだと、俺は思う。
(主さんより程度は低かったり、そもそも状況が違って比べられないかもしれんが、俺自身も自分を責める事や、それ故に自傷に走る事もよくあったので、自分自身に対してもそういう心持ちでいようと言い聞かせつつ書いている)
安らげる、心穏やかに過ごせる時間が少しでも多くなると良いな。
こんにちは。
この文章を読んでくれていたら幸いです。
小瓶主さんはきっと、頑張りすぎて、疲れちゃったんですよね。
私も、そうでした。
あなた様ほどは、立派にはなれませんでしたが。
神経をいちいちすり減らすんですよね、生きてるだけで。
そして、相談すれば親にはなぜか怒られたり、理屈を並べられたりする。
自分を受け入れてくれる場所がどこにもないんだと知った時は、深く絶望したものです。自分の居場所なんて、どこにもないように思えて。
私は今軽い鬱のような状態ですが、それでも、重荷になるものを少し捨てて、前よりは楽になりました。
といっても、まだ死にたいなんて思ってしまうのは日常茶飯事です。
何かを捨てるというのは、とても勇気のいることです。
小瓶主さんにとって、完璧を目指さなくなるというのもとても辛く、勇気のいることだと思います。自分がさらに嫌いになってしまうかもしれません。
でも、それを乗り越えたらきっと今よりも楽に生きられます。
今までこだわってたものがどうでもよく思える日が来ます。信じられないかもしれませんが。
あなたは、とても努力されたのだと思います。
あなたや周りの人がどれだけ否定しようと、これは変わらない事実です。胸を張って良いと思います。
駄目人間の怠け者の私から言わせてもらうと、小瓶主さんはとても素晴らしいと思います。
でも、そろそろ自分を許してあげませんか。
きっと心は悲鳴をあげていて、もうとっくの間に限界を迎えてしまっているのだと思います。
取り柄が一つもなくても、特別にならなくても、完璧じゃなくても、価値がなくたって、生きていていいんです。
許されていいんですよ。
最後に。
長くなってしまいましたが、ここまで読んでくれてありがとうございます。
小瓶主さんが、誰かを愛し、誰かに愛され、幸せな日々を送れますように。
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