生きることがとても苦しかった時、ネットを検索していて偶然出会ったのが、こちらの「宛メ」。
誰かに聞いてほしかったわけではない。
ただなんとなく、気持ちを吐き出したくなって。
それで、「これも何かの縁かな」と、軽い気持ちでその時の心境を独り言のように手紙に綴り、小瓶にいれて流した。
そうしたら、心に澱のように溜まっていたドロドロとした何かが、少しだけ溶けたような気がした。
それからというもの、
辛いとき、
苦しいとき、
悩んでいるとき、
何かを決意したとき、
自らの行いを反省したとき、
トラウマの元となった昔の記憶が蘇ってきたとき…
様々な場面で、小瓶を流してきた。
ぐちゃぐちゃになっている頭の中が、書くことで整理される。
そうすると、不思議と心も落ち着いてくる。
「もう少しだけ足掻いてみようかな」と、小瓶を流す前より、少しだけ前向きになれた。
そうして折に触れ小瓶を流し続けてきて、いま。
この「宛メ」のおかげで、やってみたいことが見つかった。
きっかけは、お返事。
冒頭にも書いた通り、もともと誰かに聞いてほしい・返事が欲しいと思って小瓶を流したわけではなかったけれど、それでも流した小瓶のほとんどにお返事を頂いた。
私の小瓶の内容はとても個人的・内省的で、お世辞にも返事を書きやすい内容ではない。
それでも、時に共感、時にあたたかく気遣いのある、時に優しく諭すような…様々な内容のお返事を頂いた。
そんなたくさん頂いたお返事の中で、ぽつぽつとあったのが、『小瓶の文章を褒めてくださる内容』のお返事。
例えば「秀逸なエッセイのようだ」や、「面白くて一気に読んでしまった」など。
そんなお返事を頂く度に、自己肯定感が低い私は『こんな文章が褒められていいのかな…?』と半ば申し訳ない気持ちになりつつも、なんだか嬉しくなった。
お世辞かもしれない。
でも。
愚図で要領が悪くて、褒められるより圧倒的に叱られることの多い私の人生の中で、数少ない貴重な『褒められた経験』として、ずっと心に残っていた。
ところで少し前から、私は諸事情により外に働きにでるのが難しい状況にある。
それでも、私が稼がなければ諸々立ち行かなくなる立ち位置にいる。
正直なところ、金銭的にも肉体的にも、そして精神的にも追い詰められつつある。
「どうしたらいいのだろう…?」と頭を抱えていた時に、ふと、前述の『お返事』のことを思い出した。
”文章”。
そうだ、数少ない「褒められた経験」がある、文章。これで何か稼げないかな?と。
それで、クラウドソーシングサービスの利用を思いついた。
確か、記事作成などのライター系の仕事依頼があったはず。
これなら、外に働きに行けなくても自宅でできる。
でも…。
何かの賞をとったことがあるわけでもなく、もちろん実務経験があるわけでもない、こんな『ちょっと褒められたことがある』というだけの私が仕事を請けようとするなんて、身の程知らず過ぎる…?
他のワーカーさんのプロフィールは自信に満ちていて、すごく仕事ができそうな人達ばかり。私なんかが入り込む余地なんて全くないのでは…?
大体きちんとしたメールのやり取りや打ち合わせなどが、私にできるだろうか?
「甘ったれるな!仕事をなめるな!」と怒られるのではないだろうか?
「お前なんかにできる仕事じゃないんだけどw何様www」なんて笑われるのではないだろうか?
それに納期を守れるだろうか?当然守るつもりではいるけれど…本当にできるだろうか?
…でも、それでも。
”やってみたい”。
そう、思った。
いつもなら、何かを始める前は色々ネガティブなことを考えて不安に駆られ、結局やらないことが多いのに。
今回は、「やってみたい」と思った。
そう思えたのは、「宛メ」に出会えたからです。
そして、お返事をくださった方々のおかげです。
もちろん、文章を褒めてくださった方だけじゃなく、お返事をくださったすべての方々の。
状況が切羽詰まっているから、という事態も関係しているとは思いますが、それ以上に、『褒められた』という経験が予想以上に私を前向きにしてくれていると思います。
管理人さん、お返事をくださった皆さま、ありがとうございます。
先ほど、いくつかのサービスにワーカー登録してみました。
とりあえず、やってみます。
多少なりとも稼げれば上々、仮にうまくいかなかったとしても、良い経験になった・ちょっぴりでも前に進めたという自信になるのではないかな、と思っています。
すぐには結果がでないと思うので、うまくいかなくてもしばらく続けてみます。
いつか、どうなったか結果報告の小瓶を流すことがあるかもしれません。
(その前に、また気持ちを吐き出す小瓶を数多く流すことになるとは思いますが…)
まずは取り急ぎ、御礼かたがた。