5年前から41度を超える熱と腹痛に悩まされて、入退院を繰り返し病名はいつもわからなかった。それでも必死に頑張り夢だった看護師になれた。
急性期の病院で、休みなく毎日働いていた。
苦じゃなかった。患者さんのそばにいたくて、患者さんが元気になってくれるならそれでよかったから。
でも、看護師になって少し経って
42.8度の高熱と動けないほどの腹痛で入院した。
たくさんの検査した結果、
先生たちがきて「やっぱり、家族性地中海熱という病気で間違い無いです。」と話した。
日本でたった500人しかいない難病ということ、
今飲んでる薬で効果がいまひとつだとするなら、イラリスという注射を打つしかないこと。
そこまではなんだってよかった。
そうなんだね〜なんて言って笑ってたのに
「先生、わたし看護師にちゃんと戻れるよね?」って言ったら
「必ず戻って働けるようにするから、諦めないでほしい」と真っ直ぐに言われた。
その言葉の意味を看護師として働いているからこそわかってしまった。
今働くことは難しいということが。
それだけだった、受け入れられなかったことは。
病気になっても看護師として働けるなら
なんだってよかったのに、
看護師として働けないことが何よりも苦しかった。
イラリスという注射が始まった日。
アナフィラキシーといってアレルギーがでた。
絶望的だった。
良くなるはずの治療を、これしかもう方法がない治療でアナフィラキシーがでるなんて、神様はいないと思った。
そして月に一回イラリスを打つたびに入院治療が必要となった。
看護師として急性期でバリバリ働くという夢は諦めなくちゃいけなくなった。
看護師として、やりたかったことを
たくさん諦めなくちゃいけなくなった。
新しい職場に行った今、葛藤に襲われてる。
やりたかったことやりたかったなと。
どうしてわたしが難病になったんだろうか。
どうして、わたしじゃなくちゃいけなかったのか。
どうして、今だったのか。
看護師としてやりきったよそんな風に言い切れる日まで病気は待ってくれなかった。
今頃病気になってなかったら、
思い描いていた看護師になれてただろうか。
大変だよ〜といいながらも、
キラキラ輝いていただろうか。
看護師と働いてた頃に戻れていただろうか。
戻れるのであれば、戻りたい。
それができないのはわかっていることだからこそ、
できるのであれば
難病になっても失ったものが看護師でありたくなかった。