今日で22歳。
22年前の今日、もしも「何か」があったら、22年間辛い思いなんてしなかったのかもしれない。
毎日毎日「死にたい」が頭をよぎる。
「死にたい」わけじゃないし、実際に死のうとはしない。
それは「死んではいけない」という理性からくるもの。
でも、「生きたい」から生きているわけじゃない。
私は幼稚園、小学校、中学校といじめられていた。
人にこの話をすると、「よくある話」で終わらされる。
その人にとってはよくある話だとしても、自分の中では何年も引きずるほどのトラウマとなったその傷は、時間では癒えない。
たとえ謝られても、多分何も感じない。
いじめの内容は身体的暴力みたいなではない。
無視、悪口、仲間はずれ。
あとは体型いじりと、私の咳払いのマネ。
12年間、毎日、居るのに、居ない存在となる。
存在を消される。
誰かに何かした覚えはない。
でも相手からは、されて嫌なことをしてしまったのかもしれない。
もう記憶にはない。
幼稚園で2人一緒だった子達。
その子達と一緒に上がった小学校では、60人に。
その小学校の人ほぼ全員が同じ中学校に。
中学校では新たに違う小学校の人たちと合併して120人に。
その長い長い生地獄を、私は「自分だから」という理由で耐えてきた。
「自分だから」やってはいけない。
「自分だから」仲間に入れない。
「自分だから」嫌な事をされる。
「自分だから」
その自己否定でだから仕方ないと思って生きてきた。
亡くなった母親に言われた言葉も、自分の中では、「自分だから」で片付けた。
人に思いやりが持てない子。
素直になれない子。
自分は「自分だから」思いやりがない。
自分は「自分だから」素直になれない。
でも多分、この時期は誰かに助けて欲しかったんだろうと思う。
毎日暗闇だった。
家族や物に対して暴力的になったり、意地悪をしてみたり。
助けて欲しかった、気づいて欲しかった。
でも一番は、私を見て欲しかった。
高校から専門、社会人になり身近では「いじめ」はなくだったが「いじり」は増えた。
過去のいじめで、人に抵抗する気力のない私はヘラヘラと笑っていた。
社会人になり、自分が甲状腺機能低下症、いわゆる「橋本病」という病気だということがわかった。
橋本病はリウマチの喉バージョンのようなもの。
体型も咳払いもそのせいだと知った。
ついでに、病んでも病んでもどんどん落ちていくこの落ち込みも。
中学校のときから咳払いの癖がついたから、多分その時からこの病気だったんだと思う。
診断された時にずっと病気になりたかった私の願いが知らなかっただけで叶っていたのかなって思った。
病気になれば、学校に行かなくていいから。
なんとなく、行き着いて、なんとなく書き込んでみた、私の過去。
多分明日からも死ぬまで毎日「死にたい」気持ちは変わらない。
最近はリストカットもすごいしたくなってる。
しないけど、それは今は「しない」だけ。
小学校の頃は割とやってた。
職場でも仕事中に死にたいモードになるから割と困る。
集中してるといつの間にか死にたいスイッチオンになってる。
でも、いつか、「生きたい」と思えるようになりたい。