名前のない小瓶
生きていくのに 勇気が必要です。
死ぬというのは身近な人にとっては
リスクの共有や、責任の代償などを伴いますが
大きな社会からしたら
死んだ人の責任として蔑まれ見下され
社会にとっての人間価値の優劣の一つとして
劣った人間だという証明に使われるのです。
死ぬことは
人の優しさを信じなくても
愛を人間には必要無いものとしても、
大切なものを主張しなくても、
生まれた時間を知らずに生きても、
出来ることではないでしょうか。
生きることは上の全てを自分の生きる哲学として
明白にしなければ
少なくとも出来ないことだと思います。
苦しいから、人はただ死ぬのではなくて
生きる証明に勇気が必要だから
人は生きているのではないかと思います。