生きづらさを理解してくれる友達が欲しかった。断酒の自助グループに行った。似た者同士ばかりだった。落ち着いた。
会社もプライベートも人間関係を絶ってきた私にとって、理解者に囲まれた心地よい場所だった。
だけど酒よりも、自分嫌いと人間関係が問題の本質。
確かに私の飲み方はおかしいけど、入院もしてないし外で記憶を失くしたこともない。最初の1杯でやめられる日もある。生きづらさを理解してくれる仲間が欲しいがために、酒をやめているんじゃないか。
みんなのような酒の失敗エピソードが語らない。幼少期の親からの精神的肉体的虐待、小中学校の時のいじめ、高校時代の希死念慮とリストカット、親からの夢の邪魔された挙句にアパート解約された20歳、就職してからのレイプまがいのセクハラ、頑張って転職した。今の会社では男性にバカにされないようにと壁作ってたら、左遷された。向いてない業務で仕事に誇りを持てない、上達もしない。そのたびに飲んで飲む量増えただけ。
その間恋人と親友が離れていきました。さらに飲むようになりました。
だから自助グループは安心できる場所だった。でもアル中としてのエピソードは不十分?人と繋がるために酒やめてるに過ぎないのでしょうか